第一話 高知るや (佐波奏一)

 ――如月きさらぎ、初旬。
 見上げた空は厚ぼったい薄曇り。今にも雪が降り出しそうだ。下駄を引っ掛け、そのまま花鋏を持って庭先へ出ると、吐いた息で目の前はたちまち真っ白になる。

「……本当に寒いな」

 手を伸ばし、真っ白な侘助わびすけを一枝切り取った。清楚という言葉がよく似合う、祖父が好きだった椿の花。
 ふいに背後で木戸の開く音がする。振り返ると実臣さねおみが立っていた。

「よす。三島屋のたい焼き、買ってきた。食おうぜ」

 少しだけ鼻先を赤くして、屈託なく実臣は笑う。彼の名前は鷹屋たかや 実臣さねおみ。昔からの知人であり、友人だ。
 経営しているバーの休憩時間なのか、黒のダウンジャケットにジーンズという格好をしていた。首元には、目のさめるようなコバルトブルーのマフラー。
 今日みたいな空に、映える。

「この時間帯によく買えたね。並んだ?」
「いーや。電話で予約したから待ち時間ゼロ」
「君ってそういうところ、抜かりがないよね」
「まあな」

 実臣は紙袋を持ちながら、縁側へ飛び石を伝って回ってくる。

「縁側で食べるのかい? 寒くない?」
「別に」
「あ、そう」

 私は、お茶を淹れるために部屋の中へ戻った。
 しばらくしてお盆を手に戻ってくると、実臣は縁側に座って、ぼんやりと庭を眺めていた。

「みんな、動揺していたね」
「そりゃそうだろ」

 差し出した茶碗を受け取りながら、実臣が肩をすくめる。

「前回の歌合うたあわせで、体調が悪そうだったもんなぁ、判者はんざ
「うん」
「あれ見たとき、どっかで覚悟したけど、代替りするって言われたときはショックっていうか、やっぱそうかぁって感じだったな。奏一そういちはどう思った?」
「私は……そうだね、いろいろ思ったよ」

 昨日、私たちは判者のもとに招集された。そして次の判者と交代するという宣言と共に、後任者にその旨の手紙を送ったと説明を受けたのだ。
 判者いわく、「想像していたよりも、自分の力の消耗は激しいようです。そうとなれば、早めに連絡をしないとね」とのこと。 小鈴こすずくんや新館にいだてさんは黙っていたけれど、 林吾りんごなんかは立ち上がって、動揺した声をあげていたっけ。

「しかも次の判者は結倉ゆくらにいないんだろ? なんていうか、ちょっと……イレギュラーだよな。 来るのは二ヶ月先とか言うし。それまで大丈夫なのかね」
「なんとかするのが私たちの役目」
「……ははっ、たしかに。お前の言う通りだ」

 結倉は少し変わった場所だ。
 結倉を守る土地神さまの力がとても強いため、一ヶ月に一度、歌合と呼ばれる儀式で、その御心を鎮める必要がある。
 私たちは【歌詠み】と呼ばれ、その名の通り、土地神さまに歌を詠む役割を担っている。  歌合で歌を詠まないと、土地神さまの力の影響を受けて、結倉はいろいろとやっかいなことになるからだ。  例えば、酷く雨が降り続いて河が氾濫はんらんしたり、逆に日照りが続いたり――そうならないためにも、歌合は必ずしなければならない。
 そして私たちの歌を判定し、土地神さまへ捧げる歌を最終的に決定する、大事な役目を受け持つのが、判者だ。

「なあ、どんな判者だと思う?」
「どんなって……」
「男か女か。若いのか年老いているのか、性格はどんなだとかさ」
「気にする必要はある?」

 私が言うと、実臣はたい焼きのしっぽを口に放り込み、呆れたような表情を浮かべる。

「当然。人と人との出会いだぜ?」
「どなたであろうと、お役目をまっとうされるのだから、敬意を持って接する。言えることはそれぐらいだよ」

 軽く息を吐く。目の前が真っ白になった。微かに感じる、水の匂い。
 雪はもう間もなく降り出す。そんな気がした。

「誰であれか。お前らしい答えだなぁ……ところでさ」
「うん?」
「たい焼き、もうひとつもらっても?」
「君が持ってきたものだよ。好きに食べるといい」

 サンキュ、と言うと実臣はたい焼きに手を伸ばし、頭からガブリと食らいつく。
 それから私たちは他愛もない話をしあった。来週、かきつばた公園で行われる餅つき大会の話や、バーの常連客の話……でも、私も実臣も心はどこかうわのそらだった。
 判者の交代はよくあること。歌詠みだって今までに何度も交代をして、結倉を守ってきた。

(それがお役目だ……でも)

 覚悟のあるなしに関係ない、この、ふわふわとした心もとない気持ち。言葉にするのならなんだろう。歌にするのなら――?
 たい焼きが全てなくなり、お茶を飲み干した実臣が立ち上がる。

「じゃ、帰るわ」
「うん。気をつけて」
「ああ」

 木戸を潜って、その後姿が消える。と、目の前を白いものが横切った。

「……あ」

 雪だ。
 その瞬間、さきほどの心もとない気持ちがなんなのか、わかった気がした。高揚感こうようかんだ。
 まぶたを閉じ、息を深く吸い込んだ。冷たくて、凛とした空気が身体に取り込まれる。

 高知るやあまより降れる泡雪の
のちに来たれる春を待たまし

 歌に応えるように周囲が波立った。終わりへの思いと、始まりへの願いが、清浄な波紋となってどこまでも広がっていく。
 そして白く軽やかなるものは音もなく、絶えまなく、あとからあとから降りしきる。
 大丈夫。心は――静かだ。

「やるべきことをするだけ」

 呟くと、雪を踏みしめながら私は縁側へとあがった。
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