第五話 しずかに抱く(小鈴みこと)

 結倉には神社が点在している。
 でもそれは多くの神さまがまつられているんじゃなくて、【俺たち歌詠みの守護する神社が、散らばっている】が正しい。
 住んでいる人たちのほとんどは、毎日、家の近くの神社に挨拶をし、あとはご贔屓ひいきの神社へ行く。すべてを回り切るには、徒歩だと一日では足りない。
 それら神社とは別として考えられているのが、歌合うたあわせが行われる浮宮むく神社。結倉にとって要の場所だから、 毎日、多くの人が参拝さんぱいする。
 俺も一週間に一度は必ず足を向ける。土地神さまの御心が、穏やかであるようにと願って――

「……あ、梅」

 その浮宮神社の境内、参道から外れたところで咲く白梅を見つけると、俺はスマホを取り出す。
 そっか、もう梅が咲いてるのか。そりゃそうか。二月も半ばだもんな。 木の下に立つとほのかに香る。凛とした春を告げる、花。

「へえ、意外」
「!」

 声に驚いて背後を見ると、立っていたのは新館にいだてだった。学校帰りに寄ったのか制服を着ている。 でも、そのきらっきらの金髪に強烈なピンクのマフラーは、白梅を眺めていた俺にとっては、彩度が高すぎて。

「相変わらず目立つな、お前」
「そっかなー。かわいくない?」

 一応、問いかけの形にはなっているけど、新館のこれは自己完結している。 なぜなら新館は、自分がいいと思ったことをやる人間だから。誰それがこう言ったからなんて、気にしない。
 新館とコンビを組むって決まったときは、どんなもんかと思ったけど、この絶妙な距離は俺にとっても悪くなかった。

「ていうか、何が意外なんだよ」
「ミコトも花なんて撮るんだなぁって」
「フツーに撮るし。判者に梅の写真を送ろうと思ったんだよ」
「判者に?」
「そ。最近、臥せってるって聞いたから」

 俺が言うと、新館の表情がちょっと真面目になる。

「……そっか」
「安静にしていれば、じき回復するって話だけどな」

 声を荒げたところを一度も見たことがない、いつだって穏やかでニコニコ笑っている判者だった。 俺たちの誰もが、判者に全幅の信頼を寄せていた。もっとあの人と一緒に、歌合はできるものだと思っていたんだ。それなのに。

「ねえ、判者にかかる精神的負担って、どんなもんなんだろ」
「え?」

 新館がぽつりと言った言葉を聞き返す。

「歌を判定するって、歌詠みにはわからない感覚だって言うじゃない?」
「ああ」
「しかも土地神さまと唯一、心を通わせられる存在なわけでしょ。それって大変なことなんだよね」
「だろうな」

 こちらとあちらを繋ぐ存在。いわば判者は橋みたいなものだ。 橋が掛からなければ、俺たちは土地神さまに歌を捧げられない。歌を捧げられなければ、この町には災いが起こり始める。
 判者は結倉にとって、絶対に必要不可欠な存在だ。

「私も判者へのお見舞い、なんか考えよっと」
「なんだよ、真似かー?」
「そーよ。ミコトにだけいい顔なんてさせないんだから。あ、でも桃園くんはこの前、お見舞いに行ったんだってさ」
「へー。ぞのが? あいつらしい」
「わかる」

 新館は笑うと、くるっと向きを変えて、境内を後にする。
 その姿を見送ったあと、俺はひとりで境内を回り、神社の階段に座り込んだ。 スマホを片手でいじりながら、バックパックから水を取り出す。生ぬるくなった水を飲み干すと、息をついた。

(俺はぞのみたいに、直接見舞いには行かない。判者は、俺にとってそういう距離感じゃないから)

 でもそれは、判者のことをなんとも思っていないという意味じゃない。

梅の木がしずかに抱く鋭角も優しく見える、こんな昼間は

 これでよし。判者にメール送信完了。
 ジーンズのポケットにスマホをねじ込んで、立ち上がる。
 
「判者の負担……か」
 
 土地神さまとか歌詠みとか、判者とか。他の土地に住んでいる人から見たら「なんなのその風習」っていうのが、結倉の人間には当たり前で、絶対的に必要で。
 だけど、中にいる俺でも、積み重ねられてきたものの重さや、厚みを考えると、正直ゾッとすることがある。 恐怖と畏怖。それを腹に抱えたまま、後世へ繋ぐために前に進まなくちゃいけない責任。
 こんなこと言い始めると、重いと思われそうだけど、歌を詠むことは楽しい。言ってみれば、いいなと思ったり、素敵だと感じたりするものに対して、 今の人たちがスマホのカメラを向ける感覚と同じ。結倉の俺たちは心が揺れるとき、息するように歌を詠む。
 
 「さて、帰るか」
 
 家に戻ろうと階段を降りる俺は、ふいに背後からの風にあおられた。浮島の木立がざわめいて、鳥居から散った木の葉が吹き上がる。
 
 「…………これは」
 
 背中が粟立つ。反射的に警戒すると、妙な気配はふつりと消えて。 ただ俺の中に微かな引っかかりだけを残し、風は町へ流れていった。
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