終夜よすがらの (鷹屋実臣)

「眠い。駄目だ、思考が停止しかけてる」
 
 早朝の結倉商店街の道をおぼつかない足取りで歩く。全身はギシギシと痛みを訴えていたし、頭は重たくて、歩くたびに鈍痛どんつうが響いた。身体からは泥と汗の匂いしかしない。最悪だ。こんな格好は誰にも見られたくない。
 
「あれ、おみさんじゃん。おはよ」
 
 そう思っていると、誰かに見つかって声をかけられてしまうっていうのは、宇宙の法則だろうか。
 
「……よぉ、みこと」
「うわ、なんなの。ボロボロじゃん」
「ボロボロだよ」
「しかも汗臭い。え、その格好でロードワーク?」
 
 怪訝そうな表情でみことが俺の全身を眺める。
 ま、そうだろうな。店でいつも着ている服を着ていて、トレーニングウェア姿じゃない。
 
「ロードワークじゃないが、同じようなもんだ。夜通し、結倉の町を走ってたから」
「なんで?」
「昨日の二十五時半過ぎたくらいかなぁ……店から出てった客が戻ってきて、ありえないデカさのカラスが空を飛んでたって言い出したんだ」
「…………」
「俺も最初は信じなかった。『悪酔わるよいしたか?』って返したし。だって赤い目玉が三つとか、大きさはカトレアちゃんサイズとか言うんだぞ」
 
 『カトレアちゃん』っていうのは、結倉商店街にある洋菓子店ナカムラのマスコット人形のこと。店の外にあって全長百三十センチほど。初代店主が理由を言いのこさなかったため、名前の由来は【結倉七不思議】のひとつ。とりあえず結倉の人間なら、一度はカトレアちゃんを題材にして歌を詠むくらいには町の一部だ。
 
「だけど、すごい腐敗臭ふはいしゅうで鼻もげると思ったって言われちゃ、それひょっとして、と思うわけで」
「確認しにいったんだ?」
「ああ」
「カトレアちゃんサイズのカラス、いたわけ?」
「いた」
「嘘でしょ」
「ほんと。いたんだって。平尾さん家の屋根に乗っかってた。赤い目玉三つ」

 ちなみに平尾さんはうちの常連で、お化けの類が大の苦手。屋根のものを見たら間違いなく卒倒そっとうする。
 みことはといえば、俺の言葉に嫌そうな顔をしてため息を吐いた。

ひょうがどうとか言ってた次は化けガラス?」
「みたいだな。で、しかたなく俺は奏一を召喚しょうかんした」

 奏一が来るまでに一度、化けガラスは平尾さん家から飛んで、ひどい臭いを撒き散らしながら、大竹さんの家の屋根に止まった。あー、大竹さんは周辺の美化に厳しい人だから、化けガラスを見たら、平尾さんと違う意味でやっぱり卒倒だろうな。

「で? 奏一さんとちゃんと倒した?」
「…………」
「嘘でしょ。倒したんだよね?」
「だって屋根にいるんだぞ、あいつ」
「屋根に登ればいいじゃん」
「馬鹿いうなよ。相手はカトレアちゃんサイズの化けガラスで、しかもめちゃくちゃ臭いんだぞ!」
「じゃあふたりで何してたのさ?」

  思い切り呆れた様子でみことがにらんでくる。
 まあそうなるよなぁ。俺だってこんな話をされたら、もうちょい気張れよって思う。

「いや、落ち着けって。歌詠み衆として務めを果たそうと努力はしたから。屋根に登ろうと頑張ったし、距離が開いてても、あいつの元いた常夜とこよへ送り返せないか、奏一に歌を詠んでもらった」
「……で?」
「やー、カラスアちゃん意外に機動力あってさ」
「ちょっと、変な名前つけないでよ」

 実際に、踏んだり蹴ったりもいいところだった。
 何しろ飛ばれるたびに悪臭が漂うので、そのたびに俺と奏一はダメージを勝手に喰らい。カラスアちゃんもとい化けガラスは、そんな俺たちをあざ笑うかのように、夜の結倉をそれは自由に飛び回った。

「で、このままじゃ俺たちの鼻は 一生使いもんにならなくなるけど、そんなこと言ってられなさそうだって覚悟した瞬間、夜明けが来て、化けガラスが消えてくれたんだよ。明けない夜はないって、こういうことだよな」
「何言ってんの? 夜は再び訪れるんだよ」
「ですよね」

 しかし常夜へ戻ってくれたなら、ひとまず俺たちがすることはなくなる。
 奏一はくまをこしらえながら出勤するため家へ戻り、俺も店が開くまでの間だけ仮眠するため家へ戻ろうとした。
 そこで、みことと会ったわけだ。

「にしても酷いことになってきたね……新館からこの前、奏一さんと浮宮むく神社行ったって聞いたよ。御神木に祈願してきたとかなんとか」
「そうだな」
「祈願効果なくない?」
「んなもん気休めだろ。それで効果あれば判者も歌合もいらん」

 ボーっとする頭を片手で支えながら、俺はぞんざいに返事をする。いや、こればっかりは許して欲しい。このまま眠れそうなくらい今は疲れている。

「とりあえず化けガラスはなんとかする。お前が言ってるように、また現れるだろうし……結倉の人に危害があったらまずいよ。あー、踏ん張り時ってやつだな。判者が来るまでの間、俺たちがなんとかしないと」
「――判者がいたって平穏が壊れる時はあるけどね」
「え?」

 聞き取れなかった俺は尋ね返すが、みことはそのまま片手をあげて、「じゃ」と駅に向かう。気になったものの、俺も限界だったため、再びのろのろと歩き出した。
 遠くで聞こえる踏切の音、商店街のシャッターが開かれる音。一番早く開くパン屋の香ばしい匂い。
 深夜の出来事が嘘みたいに、結倉の町は動き出している。
 それがたまらなく不思議な気持ちと、世界はそんなものだという気持ちと。

白白しらじらと明けていく街終夜
不協和音の響きも知らず

 ふわふわした感覚を持て余しながら、まなじりを強く掴んだ。
 
「あー……シャワー浴びてビール飲んで……寝よう」

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