歓迎会

 四月、中旬――桜の花が散り、浮き足だった空気がまた日常へと戻っていく。そんなときのことだった。さきが、林吾りんごから招待状を受け取ったのは。

「先輩、よく来てくれました! さぁさぁどうぞ。ずずいと奥へ! すんません、何もないつまらないところですが!」
「おいこら、お前が言うな」

 カウンターでグラスを磨いていた実臣さねおみが、林吾に向かってにこりと笑う。さきはすでに集まっていた歌詠みたちを見渡すと、軽く頭を下げた。

「こんばんは。今日はお招きをありがとうございます」
判者はんざさま、いらっしゃいませ」

 スツールに座っていた奏一そういちも、わざわざ、さきのところへやってくると挨拶をする。その背後からは舞依まいが、さきに向かってひらりと片手をあげた。

「今日は先輩の歓迎会なんで、先輩が主役ですよ!」
「主役かぁ、小学校のときのお誕生日会以来かも」
「あー、女子はよくやってるっすよねぇ。この前、カラオケでの誕生日祝いにオレも呼ばれましたよ!」
「ふぅん、桃園くんに小学生の女友だちがいたなんて知らなかった」
「違うっての。クラスメイトだって!」

 舞依のからかいに、林吾がぶっと頬をふくらませた。

「先輩、さ、席に案内します!」
「ありがとう」
「奏一。真秀まほとみことはまだか?」
「もうすぐ着くって、ちょうど今メッセージが届いたよ」
「ふーん、わかった」

 林吾がさきの背中を押しながら、飾り立てられたテーブルへと案内する横で、奏一と実臣が言葉を交わす。

(わあ、美味しそう……)

 色とりどりのオープンサンドウィッチに、カットされた瑞々しいフルーツ。ウッドボードに乗せられた冷菜と、 シャルキュトリ の盛り合わせ。どれもみな、実臣が作ったのだろうか。
 実臣の店は、とても洒落た内装だった。地下にあるなんて思わせない圧迫感のないデザイン。シンプルだが、それでいてカウンターや酒が並ぶ背後の棚、照明のひとつひとつにこだわりが見える。なおかつ「商店街のバー」という親しみやすさもあった。

「判者さま、ここに来るのは初めて?」

 興味深そうに、【LINER NOTES】の店内を見渡すさきに気づいたのか、舞依が声をかける。

「うん、実は。鷹屋たかやさんにはいつでもって言われていたんだけど、機会をのがしてて」
「遠慮なんて必要ないっすよ、先輩。オレなんて、ここにしょっちゅう牛乳飲みに来てます! 」

(バーで牛乳……)

 なかなかのパワーワードではあるまいか。
 さきはそう思って、微笑む。

「舞依ちゃんもここをよく利用するの?」
「する。図書館の帰りとかにお茶飲みに。注文に迷ったときは本日のデザートセットがおすすめ」
「あ、いいこと聞いた。今度来たときはそれを頼もう」
「先輩、よければオレお供します!」

 ビュッ! と空気を切って、林吾が手を挙げた。

「おーい、林吾。歌詠みは馬鹿だなって思われるからやめろ」
「ふっ、甘いな実臣。先輩は実臣と違って人間がデキていらっしゃるから、そんなふうに思わないのだ」
「何が『思わないのだ』だ。誰キャラだ、お前」

 大きなボウルに盛ったサラダと、それに負けないくらい山盛りの、揚げたてフライドポテトとチキンナゲットを手にした実臣が、林吾とにらみ合う。

「ごめん、遅れた」

 まあまあ、とふたりを取りなす奏一の背後から、声がかかった。入り口に立っていたのは、みことと真秀だ。

「おっせーぞ、マホ!」
「え、なんで俺だけ? みこも隣にいるでしょ」
「お前はオレの相棒だから!」
「何その論理……」

 憮然とする真秀の横で、みことがその肩を叩く。

「これで全員集まったかな。判者さま、席にどうぞ座ってください」
「はい」

 奏一に勧められるがままに、さきは椅子に座った。判者が座るまでは座れない、と思っていたのかはわからないが、次々とそれにならって歌詠みたちも着席していく。
 実臣が成人済みの者にはシャンパンを、飲めない未成年のグラスにはジュースを注いだ。

「それじゃあ林吾、よろしくね」
「え、よろしくって……?」

 きょとんとした表情で林吾が奏一を見る。

「なぁに、ポカーンとしてんだ。歓迎会しようっていい出したの、お前だろ。乾杯のスピーチをしろ」
「あ、そか!」

 実臣の言葉に林吾は急いで椅子から立ち上がると、グラスを高く持ち上げた。みんなを見渡すと、軽く咳払いをする。

「えーっと今日は先輩の……じゃなくて、判者さまの歓迎会に集まってくれてどーもっす! 判者と歌詠みの関係で、こーゆーのって、あんましないのかもだけど、先輩は結倉ゆくらに来たばっかだし、知り合いが増えるのって悪くないかなって。何より年が近い先輩と仲良くなりたいって思ったから、この会、開きました。先輩、これからよろしくおねがいしやす! あと初めての歌合うたあわせ、まじおつかれっした! てことでカンパーイ!」
「乾杯」

 グラスが軽くぶつかり合う音がして、歓迎会が始まった。

「ほれ、どんどん食べろー」

 実臣がカウンターから次々と新しい料理を持ってくる。ピザにスパゲッティにグラタン……しかし、それらはあっという間に空になっていった。さすが、食べざかりの男性が集まっているだけはある。気づけばシャンパンはワインへと変わり、林吾のジュースは牛乳になっていた。

「オレ、土手に先輩が現れたとき、めっちゃトリハダ立ちました!」
「え、どうして?」
「だってあのタイミングっすよ。ほら、何とかは遅れてやってくるって言うでしょ?」
「真打ちね」

 林吾の隣りに座った真秀がフォローを入れる。

「何とかって、なんもわかってねぇな」
「実臣うるさい!」
「でも林吾の言いたいことはわかるな。小鈴君が歌で追い払ってくれたけど、私も実臣も化けガラスに麻痺されて動けなくなっていて、これからどうしようって言っていたところだったから。判者さまが意図したわけではないにしろ、これはめぐり合わせなんだって、ちょっと思っったよね」
「さーっすが奏一さん! どっかの実臣とは違う!」
「林吾うるさい」

 実臣の返答に、その場がどっと沸く。さきは興味深く歌詠みたちを眺めた。歌合のときには人間関係の観察をしている余裕などまるでなかったが、こうして集まって話しているのを見ていると、少しずつ関係図が頭の中にできていく。

「怪異については歌合以来、聞かないけど……みんなはどう?」

 舞依の言葉に、少しだけその場が真面目な空気に変わったのを感じ、さきは居住まいを正した。

「オレも聞かないなー。高校でも、歌合してくれてサンキュって感謝されたぐらいで、化けガラスの目撃情報とかは特に。あー、でもオレ倒したかった!」
「いや、あんなのは追っ払うに限るって」

 土手でのことを思い出したのか、実臣が遠い目をする。同じ思いなのか、奏一とみことも黙ってうなずいた。

「とりあえずは安全と見ていいんじゃない? 俺が実家の結界から出るのを許されたくらいだし」
「基準がそれとかどーなんだよ~。でもマホよかったな!」
「ごほっ……痛い」

 林吾に背中を思い切り叩かれて、真秀がしかめっ面をする。

「歌合を行ったのが三月の末だろ。それから二週間経過してるのを考えたら、怪異はおさまったって考えていいでしょ」
「私もみことや真秀に同意見かな。油断はしないつもりだけど」

 グラスを傾けながら奏一は言うと、さきを見た。

「判者さまはどう思われますか?」
「え……」

 途端、歌詠みたちの視線が自分へ一斉に向く。いきなり話を振られたさきは、まばたきをした。

「そうですね……結倉に到着したときの、あの息が詰まる、澱んだ空気はなくなったと思います。だから怪異はなくなったはずです。ただ……土地神さまの影響を強く受けている場所だから、今でも雑多な気配があるなぁと感じていて」

 そこまで話して、誰もが真剣な顔をしていることに気づく。さきは否定するために両手を軽く振った。

「あ、危ないとかそういうんじゃないです。これが結倉なんだろうなって思っただけで」
「それわかる。ここって本当に変な土地だよね。雑多って表現、ぴったり」
「え、そうなん? オレ、ぜんぜんわかんないんだけど」

 真秀の同意に林吾は首を傾げる。

「真秀は本家筋ってこともあるけど、極端に力が強いからなぁ」
「本家筋……」

 呟いたさきに向かって、実臣がにっこりと笑った。

「歌詠みは結倉に住む人から選ばれるんだけど、初代歌詠みの血を引く由緒ある家ってのが、それなりに残っててさ。そこを『本家』って言ってるんだ。で、そこから大体は順当に次の歌詠みが選ばれる。本家から選ばれる歌詠みは、基本的に歌の力も強い。だからその血を絶やさないようにって、分家があるとこもある。奏一や真秀のとこなんかがそうだな。俺の家にはないけどね」
「もちろん歌詠みなんて出したことない、一般家庭から選ばれることもありますよ! オレとか舞依がそうっす」

 身を乗り出し、林吾がフライドチキンを片手に説明を付け加える。

「なるほど……あれ、みことくんは?」
「俺のとこは微妙だね。初代歌詠みの血を引いてるわけじゃないけど、親戚が結倉で神主してるから。あ、宝具を祀っている神社じゃないよ」
「そうだったんだ」

 みことが神主の血筋だったとは。知らなかった事実にさきは驚いて、サラダのレタスを刺そうとしたフォークの手を止めた。

「子どものとき半年くらいこっちに預かってもらったんだ。妹が生まれるんで。で今は大学が近いから、その親戚の家にやっかいになってる。実家はもっと都心」
「ミコトは物理学部だっけ? オレ、高校で物理、赤点しか採ったことないから、まじでソンケーする。あれを大学でも学ぼうとかアリエナイ」
「俺は地学が好きで物理に行ったんだよ。でも数学得意じゃないとキツいってことがわかって苦労中。別にそこまで数学できるわけじゃないしさ」
「あれ? みことって暗算得意じゃなかった?」

 実臣が言うと、みことはおかしそうに唇を曲げる。

「おみさん、よくそんなの覚えてるね。暗算は得意だけど、残念ながら大学の数学はそれだけじゃやってけないんだなぁ」
「私、わりと数学好きだよ」
「げ、ウソ! マイは超文学少女キャラのはずじゃ!?
「なにそれ。勝手にキャラ付けしないでよねー。私、谷崎も太宰も好きだけど、複素数も微分も好きだよ」

 驚いた声をあげる林吾を、舞依がしれっとした表情で睨んだ。

「えぇぇぇ~」
「悪い?」
「あ、いえ、その……悪くないです」
「なぜ敬語?」

 ぶはっと実臣が笑う。しかしこれ以上何かを言うと、舞依にまた突っ込まれると思ったのか、林吾は悔しそうにむしゃむしゃとフライドチキンを食べ始めた。

「あれ、今日って店やってないの?」

 ふいに戸惑った声が部屋に響く。
 見ると、バーの出入り口に、男性がひとり所在なく立っていた。

「野間さん。どうしたんですか」
「ひょっとして貸し切り?」
「はい。看板、出しておいたんですけど、見えづらかったですかね」

 椅子から立ち上がると実臣が近づいていく。

「あー、電球切れてたから見落としちゃったよ。ごめんごめん!」
「おっと、見えないのはまずいな。悪い、電球取り替えてくる」
「わかった。気をつけて」

 奏一が返事をすると、バックヤードに実臣は消えていった。

「あの人、ここの常連さん?」
「そうっす。わりとこっから近いとこに家があって……そういや野間さんとこの庭が枯れてるって話、どーなったんだろ。おーい、野間さーん」

 さきに答えたあと、林吾は立ち上がると手を振る。

「庭の草花、あれからどーっすか?」
「やあ、林吾くん。おかげで新芽が出てきてくれてるよ。これも歌合をしてくれたおかげだね。いやぁ助かったよ。ありがとう……あ、ひょっとしてその方が?」

 野間とさきの視線が合った。

「はじめまして」
「ああ、立ち上がらなくて結構です! 新しくいらした判者さまですね?」

 慌てたようにさきを制し、野間がぺこぺこと頭を下げる。

「はい。どうぞよろしくお願いいたします」
「いやぁ、こちらこそですよ。来てくださってどんなにほっとしたことか! あんなおどろおどろしい空模様になったときには、もう結倉は常夜とこよに飲まれて終わりだとばかり……」
「結倉のみなさんには、ご心痛をおかけしました」
「でももう大丈夫ですよね? これからは一ヶ月に一度、今までどおり歌合が行えるはずですから。ですよね?」
「はい」
「ああ、よかった!」

 野間はふたたび何度もお辞儀をする。それからしばらくして、電球を交換してきた実臣が階段を降りてくると、野間はいとまを告げた。歌詠みと判者の会を邪魔してはいけないと思ったのだろう。

(もう何も入らないかも……)

 心づくしのご馳走をたっぷりと食べて、さきは大満足だった。しかし実臣はデザートもしっかり用意していた。フルーツの乗ったアイスクリームに、いちごのババロア、極めつけに濃厚なチョコレートケーキ。結局さきは、それもぺろりと食べてしまった。美味しいに違いないデザートを目の前にして、食べない選択肢などありえない。実臣がドリップする熱々のコーヒーと一緒に、誰もがデザートを堪能した。とりとめもない話は尽きず、笑い声は何度もあがる。そして気づけば、夜は更けていた。

「……月が」

 お開きとなって、さきが外へ出てみると、濃密な夜空に浮かんでいたのは朧月。その淡い光をさきは見つめた。
 歌詠みたちが開いてくれた、ささやかで温かな歓迎会は、これからも頑張ろうと決心するのに、じゅうぶんなものだった。
 さきは顔をほころばせながら夜道を歩き出す。その背後を月がずっと、追いかけていた。
次の話
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