胎動

 深夜――寝静まった結倉商店街に足音が響く。等間隔に置かれた街灯の明かりに映し出される影はふたつ。
 少し前を歩く影が止まると、もうひとつも倣って止まった。

「……ここは変わっていないですね。うんざりするほどに」

 怜悧れいりで滑らかな声が闇に落とされる。
 言葉は皮肉めいていたが、どこか楽しんでいる風でもあった。

「目的地はすぐそこですよ」

 影が歩き出す。同じように背後の影も動いた。言葉どおり、ふたつの影は商店街の終わりにある古ぼけた建物の前で止まる。長らく放置された様子がありありとわかる、さびついたシャッターに、隣の和菓子屋が置いたらしき長椅子と植木鉢。

「やれやれ」
「……片付けるか?」

 背後の影が言った。太く張りのある声だった。

「ええ、よろしくお願いしますよ」

 前の影は脇にどくと、ひょいと肩をすくめてみせる。どうやら自分は片付ける気はさらさらないようだ。

「ただし近所迷惑にならないように。なんでも最初が肝心ですから。特にコミュニティーが密な、こういう土地ではね」



 翌朝――舞依はインターナショナルスクールへ向かうため、結倉駅へいつものように急いでいた。舞依の家からだと、ちょうど結倉商店街を端から端まで突っ切った場所に駅がある。
 新作のリップと、お気に入りのコートのカラーコーディネートがばっちりで、彼女は上機嫌だった。実に軽やかな足取りで、商店街を駆け抜けようとしていた。しかしふと足を止める。

「あれここって……」

 商店街の端にあった古ぼけた建物。そのシャッターが開いていた。
 舞依は驚いた。彼女が生まれたときからずっと、ここは閉められていたはずだ。建物の奥で何かが動く。気になって舞依は静かに近づいた。

「おや?」
「あ……おはようございます」

 ダンボールを開けていた男性が、舞依に気づいて顔を上げる。
 涼やかな目元を細め、柔らかな笑みを浮かべながら近づいてきた。見たことのない顔だ。

「ここ、お店になるんですか?」
「厳密に言うと、お店だった場所を再開するんですよ」
「お店だった……」

 舞依はさらに一歩、店へ踏み入る。あ、とその口から声が上がった。よく知った紙の古い匂い。まさかと思いながら期待に目を輝かせる。

「古書店ですか?」
「正解。わたしは店主の久能くのたくみです。どうぞよろしく」

 握手を求められ、舞依はその手を握った。
 腕まくりをしているが、ひと目で仕立ての良いシャツを着ているとわかる。履いている革靴も埃を被っていたが、本来はとてもよいものだろう。古書店を営む人物というよりも、都会でビジネスをしている人間に見えた。
 そんな舞依の表情に気づいたのか、久能がくすりと笑う。

「この店は私の曽祖父そうそふが開いていたんですよ。でも閉じて、長く結倉から離れていたんです。今回父が亡くなったため古書店をわたしが継ぐことになって。土地を売却しようか考えたのですが、それを考えるためにも結倉でしばらく暮らそうかと」
「そうだったんですか。お父様のことはご愁傷さまでした」
「ありがとうございます」

 久能はダンボールから本を取り出すと、棚へと押し込める。

「近日中には開店する予定です。古書に興味がおありなら、ぜひまた」
「はい、必ず」

 舞依はうなずくと軽くお辞儀をして、店から出ていった。久能は再びダンボールに手を伸ばす。

「誰か来ていたのか?」

 店の奥から声が掛かった。
上背のある、がっしりとした男が現れる。

「ええ、歌詠みのひとりが」
「へえ。どんなヤツだ?」
「とても可愛らしいお嬢さんでしたよ」

 久能はそう言うと、周囲に積まれたダンボールに眉をひそめた。

「少々、本を買いこみ過ぎましたかね」
「ほどほどにしろと俺は忠告した」
「まあ、なんとかなるでしょう。宇紋うもん、あなたは反対側の棚をよろしくお願いします」
「…………」

 宇紋と呼ばれた男は反対側の、まだ一冊も棚に入っていない状態に視線を向けると、これみよがしにため息を吐いた。



 さきは気づくと、かつて暮らしていたマンションのリビングに立っていた。ああ、これは夢かとすぐに理解したが、それでも懐かしい場所だったので嬉しいと思った。
 親代わりとなってくれた奈央と兼也はどこにいるのだろうか。せっかくなのだから夢だとしても会いたい。彼らの部屋やキッチン、リビングを覗くが、しかしどこにもいない。最後に自分の部屋の扉を開けた。
途端、どっと冷たい風が身体に当たる。
 さきが驚いた瞬間、真っ暗闇に放り込まれていた。冷え冷えとした何もない空間だ。少しだけ歌合の場所に似ている。

「ん……?」

 微かに音が聞こえた。
 耳を澄ます。静寂のあと、また聞こえた。なんの音だろうか。わからない。なぜかさきは、その音の正体を突き止めたくてたまらなくなった。
探しに行くべきだ。さきは走り出す。
 音が近くなる――これはおそらく――

「!」

 はっ、と目を覚ました。
 視界に映る天井と、鳴り響くアラームの音。さきはスマホに手を伸ばし、スイッチを切った。

(今のはなんだったんだろう)

 わかりかけていた音の正体が、あっという間に遠くなる。
 もどかしさに軽く唇を噛んでいると、ベッドの横にある窓をコツコツと叩く音に気づいた。怪訝に思いながらカーテンを開ける。するとそこには白くて丸い鳩がいた。

「鳩……んん?」

 鳩は何かを咥えていた。小枝にしては赤みを帯びていて平べったい。さらによく見ようとして窓ガラスに顔を近づけても、鳩は逃げなかった。

「嘘――」

 鳩が咥えていたのは、小さく折りたたまれたふみだった。
 それから三十分もしないうちに、さきはアパートから飛び出すとまっすぐに浮宮神社へと向かった。
 平日の朝、境内はすでに町民の手で清められている。ハナミズキを浮かべた手水、掃き集められた落ち葉の下にはふっくらした青苔。水やりの終わった木々や花々には雫が湛えられている。すれ違う何人かに挨拶を受けながら、さきはなるべく急いで本殿の背後へと向かう。
 果たしてそこに、つなはいた。小さな姿の神使はさきがやってくると嬉しそうに尻尾を揺らす。

『おはようございます、判者はんざさま。文が無事とどいたようで』
「おはよう。鳩が持ってきてくれて驚いたよ」
『ほっほっほ。鳩だけではございませんよ。猫も犬も栗鼠も、つながお願いすればいつだって判者さまのところへ連絡を頼まれてくれるのです』

 扇子で口を隠しながら、つなは笑う。

『二回目の歌合も無事終わり、結倉は落ち着きを保っておりますな。次回もなにとぞよろしくお願いいたします』
「よかった……手紙が来たから何かあったのかと思った。少し前に妖怪のかくれ里に迷い込んじゃったことがあって」
『ああ、そのようなことがありましたな』
「え、知っているの?」
『無論ですとも。判者さまのことで、つなが知らぬことなどないのです』

 つなは自慢気に胸をそらし、鼻をひくひくとさせた。

『昔は妖怪とも距離が近く、かくれ里が在ることなど、誰もが知っていることでございました。しかし現代の人間は見向きもしませぬ。それどころかあの者たちは自分たちが勝手に作った存在だの、恐れや穢れの象徴などと言う始末。そんなことを言っているようでは疎遠となるのも無理はありません。いやはや、さみしいことです』
「ねえ、つな、聞いてもいいかな?」

 さきは隠れ里で老タヌキと話したときに、気になったことを尋ねることにした。それは林吾が贈られた傘を持っていたとはいえ、実臣と自分も一緒に里へ行ってしまったのは、自分が判者だからなのかということだった。
 つなはつぶらな目をさきに向けていたが、話が終わると、小さくため息を吐いた。

『判者さまの力はとても特殊なものでございます。判者さまも歌合を開いておわかりでしょうが、歌詠みたちの歌はとても強く、天地あめつちを動かすほどの力を備えております。だからこそ、そんな歌に翻弄されないだけの力が判者には必要なのです。それは歌詠みとはまったく異質の力とも言えましょう。しかしその一方で、歌詠みの力に対して不干渉過ぎてもならないのです。なぜだかおわかりですかな?』
「……判者は、歌詠みと土地神さまの架け橋となる存在だから?」
『その通りでございます。あなた様が持つ力は、歌詠みの力とは異質でありながら、ただね退けるのではなく、本来なら結ばれることのない力と力を繋げられるものなのです。それは他に類を見ない大変特別な力です』

 つまり、とつなは言葉を続けた。

『あなた様は無意識のうちに、結倉と先の隠れ里を結んでしまわれたのです』
「え……待って、結倉やかくれ里は『力』じゃないよ?」
『存在するためには力――エネルギーが必要でございます。あなた様は結倉という存在が持つエネルギーと、かくれ里のエネルギーを結んだのでございます。まあ判者に選ばれる実力を持ってすれば、どこぞの妖怪のかくれ里を【通す】など簡単でございますよ』
「そ、そんな」
『今後の課題は、判者さまがご自身で力を制御できるようになるということでしょうな。ところ構わず結んでいてはきりがございませんから』

(そんなことを勝手にしていたなんて……)

 さきは呆然としながら、老タヌキの話を思い出す。

「判者の力は結びつけるものだっていうなら、常夜とこよと結倉を繋げてしまう心配があると思うのだけど……」
『ご心配召されるな。常夜は妖怪のかくれ里など比べ物にならないほどの、エネルギーの塊。そう容易く繋がるものではございませぬ』
「そっか。それを聞いて少し安心したよ」

 だとしても力の制御を行わなければ、またあのようなことが起こるかもしれないのだ。

「具体的に、どうやって制御の仕方を覚えればいいのかな?」
『力を感じる場所におもむいて、精神の統一を行うのがよろしいかと。結倉には神社がいくつかございますが、中でも宝具を祀った神社は、判者さまとの相性もよいと思われますぞ』
「宝具の祀られた神社だね。わかった。やってみる!」

 つなに言われたとおり、さっそくさきは宝具を祀る三つの神社を巡ってみることにした。
まず「紙」を宝具とする比斗奈ひとな神社に向かった。桜の若葉と青もみじに出迎えられて鳥居をくぐり、ちょろちょろと水が落ちる手水で手と口をすすぐ。さほど境内は広くなく神主もいるわけではないようだ。本殿にお参りを済ませる。
 判者の勉強を始めたときに宝具については学んでいた。比斗奈神社の宝具の銘は「八重霞やえがすみ」。土地神さまが春の霞を片手で掬われ、 それが一枚の紙になったと言われている。
 さきは心を落ち着け、境内に満ちる気を体内に取り込むように深呼吸を繰り返す。何度か行っているうちに、境内の気と自分が溶け合うような不思議な感覚に陥った。自分の境界線がなくなっていく。何かが流れ出し、他方と繋がろうと探る――心もとない感じだ。

「……!」

 は、と軽く息を呑むと、さきは瞬きをする。
 今の感覚がつなの言っていた「無意識の力」なのだろうか。正解が今ひとつわからずに困った。しかし今は教えてくれるつなもいないので、ひとまず神社を出ると次の神社へと向かうことにした。
 富垂ふた神社は坂を上った先にあった。宝具は「筆」、銘は「雲遊うんゆう」。穂の部分をたなびく雲から作ったとか、はたまたその筆で文字を描くと、まるで雲のように流れてどこへともなく消えていくからなど諸説はある。比斗奈神社より少し広い神社で、本殿の横に大きな銀杏の木があった。
 先ほどと同じように挨拶を済ませると、整えられた砂利の上でさきは呼吸を整える。比斗奈のときとまた違う気だ。身体の中を巡っていく。
 最後に向かったのは広末ひろみ神社。かきつばた公園の近くにある神社で、他の二社と比べて境内がぐんと広い。どうしてだろうと思ったが中に入って納得した。境内に池があるのだ。広末神社の宝具は「硯」で銘は「十六夜いざよい」。池のほとりで土地神さまが硯をお作りになり、池の水ですすがれたとき、ちょうど十六夜がその硯に映ったと言うのが謂れらしい。
 池のほとりに立つとさきは目を閉じた。しんとした静けさに包まれながら、境内の気を取り込む。身体に馴染み、滲んでいく感覚を覚えると、その滲みを止めるように薄い膜を張るイメージを思い浮かべる。
体内に留める。外と内を断つ。身体の中を気がぐるぐると巡るに留まる。

「…………こういうこと、なのかな」

 呟くとさきは境内を後にした。また日を改めて、つなに話を聞きに行こう。そう思った。
 神社を巡って、気を感じることを繰り返したせいだろうか。少しだけさきの頭はぼんやりしていた。しかしあとは家に戻るだけだ。何も考えずに足を動かしていてもどうにかなる。

「あれ、ここは」

 ふいにさきは足を止めた。見覚えのある景色だった。途中から階段になっている坂。
 そうだ、ここを登っていけば――

「こんばんは」
「……!」

 突然声をかけられ、さきは振り返る。見知らぬ男性がひとり立っていた。

「この上に行くつもりですか」
「え? ええと……」
「今日はやめて、家に戻られたらどうですか?」

 男性の唇が薄く笑みをかたどる。

「逢魔が刻、とも言うから」
「…………」

 それ以上、相手は近寄ってこない。けれどさきは狙いをつけられた獲物のように、自分の身体が強張っているのを感じた。
 怖い。いや、そうだろうか。
 ただこの目の前の男性から、妙な圧を感じる――

「何してんの」

 別の新たな声に、その場の空気が壊れた。さきは怪訝そうに立つみこと を見ると、ほっと身体の力を抜く。
 みことは男性に目を向けると、さきの前に立った。

「彼女に何か用ですか」
「おっと、これは失礼。用というわけじゃないんですよ」

 男性は再び微笑むと、みこととさきを交互に見る。

「わたしは久能と言います。結倉商店街で古書店を再開するために、結倉に戻ってきたばかりでして。どうぞ以後お見知りおきを。そちらの女性は坂を上がっていくふうだったので声を掛けたんです。もう日が暮れますから――」

 久能は目を細めた。

「今から行くような場所でもないと思いまして」
「……!」

 みことは探るように久能を見返す。見たこともない顔だと思った。
 しかし「今から行くような場所ではない」とはどういうことだろうか。

「それではわたしはこれで」

 みことが答えないでいると、久能は軽く会釈をして歩き去っていく。さきとみことは、その姿が角を曲がって見えなくなるまで一言もしゃべらなかった。

「今の人……」
「帰ろう」

 さきが全てを言い終わる前にみことが遮る。

「家に戻ったほうがいい。送るから」
「……うん」
 促されたさきが歩き出すのを見て、ほっとしたようにみことも歩く。しかし周囲を見渡すと、微かにその眉を寄せた。

「霧……?」

 いつのまにやらけぶるような薄い霧が、家々の間を漂い始めていた。
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