波紋

 林吾からのメッセージをもらって十五分後、さきは自室に真秀と林吾を招き入れていた。台所で紅茶を淹れると、ソファに座るふたりの前に差し出す。

「ごめんね、来るってわかっていればお菓子を用意できたんだけど」
「そんな気にしないでくださいっす! オレ、先輩に会えただけで嬉しいっすから!」
「遊びに来たわけじゃないよ、桃」

 紅茶に口をつけた真秀がしらっとした表情を浮かべた。
 さきはその言葉に眉根を寄せる。

「何かあったんですか」
「……あったかどうかはまだわからないけど」

 そう前置きをしたあと、真秀は手短に先ほどの出来事をさきに説明した。

「怪物……物騒な単語ですね」
「物騒だし、何か妙な感じがして」
「マホは結倉に異変が起きてるのかもって心配してるんす」

 さきは自分の紅茶のカップに目を落とすと、じっと黙る。
 三月末と四月の末に、歌合を行った。さき自身は特に異変を感じてはいないのだが。

「先輩……?」
「私、浮宮むく神社に行ってみようかな」
「どうしてっすか?」

 きょとんと瞬きをする林吾に、さきは説明しかけて口を閉ざす。
 つなの存在を歌詠みは知らないでいる。今の結倉の状況を聞きに行く、と言えば「誰に?」と返されてしまうだろう。

(ど、どうしよう……)

「あそこには土地神さまがいるからね。判者もいろいろと感知しやすいんじゃない?」
「ああ、なるほどな!」

 真秀の言葉に林吾が大きくうなずいた。どうやら納得してくれたようだ。

「じゃあ急いで行きましょう、先輩!」
「うん!」


 三人はそのまま浮宮神社へと向かった。
 本殿に挨拶を済ませると、その奥へと急ぐ。御神木に駆け寄ったさきは心を落ち着けて、幹にそっと手を触れた。

(――つな)

 柏手が響く。
目を開けると、周囲の【時】がいつかのように止まっていた。

『これはこれは判者さま、どうされましたか。歌詠み衆もお連れのようですが』
「つな……」

 足元に顕現したつなの目線に近づこうと、さきはしゃがみこんだ。

「聞きたいことがあって来たの。土地神さまのご様子はどう?」
『どうとは? 判者さまに早急にお伝えするようなことはございませんが……』
「そう……」

 ほっとため息を吐くものの、さきの心にはまだ不安が残されていた。
 自分の判者としての力が、また何かを【通そう】としていたのなら? あるいは、つなも気づかないでいるようなことが起きていたら?

『何か気がかりでもあるのですか』

 つながさきを見上げる。

「実は――」

 さきは真秀たちから聞いた話を伝えた。つなは黙って聞いていたが、途中から怪訝そうな表情を浮かべる。

『怪物ですか。確かに聞き捨てならない言葉ですが……』
「でも土地神さまは落ち着かれているし、なんなのかがわからなくて」
『気には留めておいたほう がいいかもしれませんが、今の段階でどうこうというわけではなさそうですな。判者さま、わたくしめも注意いたします。何かあればすぐにご連絡いたしましょう』
「ありがとう、つな」

 お礼を言うと、嬉しそうにつなは尻尾をぱたぱたと振ってみせた。

『それで歌詠み衆とはいかがです?』

 時を止められた状態のふたりにちらりと視線を向けて、つなが言う。

「みなさん、とても良くしてくれているよ」
『それは何よりでございます。脅かすわけではございませぬが、たとえ歌合を行っていても何が起こるかわからぬのが結倉。大事だいじの際に判者さまを守り、支え、共に戦うのが歌詠み衆の務め。日頃より交流を深め、信頼関係を築いておくがよろしいかと』
「わかった」
『無論、つなも判者さまを全力でお守りいたします。いつでもわたくしめを頼ってくださいませ』

 小さなつなの勇ましき発言に、さきは口元を綻ばせた。

「ありがとう」


 つなが姿を消し、時が正常に戻るとさきはふたりに「今後の様子を見る他なさそうだ」と説明をした。火急に対処すべきものはないことに林吾も真秀も少しだけ安心したようだった。

「あ~、安心したら腹が減った!」
「何か食べに行く?」
「実臣んとこ行こうぜ。先輩もご一緒に!」
「じゃあお言葉に甘えようかな」

 そのままさきたちは結倉商店街まで歩いて行った。その際も、さきはさりげなく周囲の気配をうかがう。
 つなは問題ないと言っていたし、実際に妙な感じもない。けれど、かくれ里の件が無自覚だったということもあり、正直、自分の感覚が信じ切れずにいた。

(また結倉や他の誰かをおびやかすようなことがあったら……)

「先輩、どーしたんすか?」
「!」

 林吾がさきの顔を覗き込む。

「は、もしや何かお悩みごと!?」
「ぶふっ」

 林吾の隣で真秀が吹き出した。

「お悩みごと……」
「なんだよ、判者さまを敬うのは当然だろ!」
「まあそうだけど」
「……ふ、ふふ」

 さきも唇を抑え、笑うのを堪える。

「ほら判者が呆れてる」
「んなっ……違うっての! オレの発言で心和まされたんだっての!」
「……桃ってすごい」
「え、なんで? まあすごいのは確かだけどな!」

 林吾はそう言うと、さきに向かって笑いかけた。

「先輩、何かあればどんなことでもオレたちに言ってください!」
「うん、ありがとう」

 悩んでいてもしかたがない。やるべきことをする他ないのだ。
 さきの気持ちが少し前向きになったころ、等間隔に置かれた街灯に、結倉商店街と書かれたフラッグが風ではためく様子が視界に入ってきた。

「オレ、何食べよっかな~」
「あれ……?」

 真秀が目を細める。その視線の先には、商店街の端にある古ぼけた店から出てくる舞依の姿があった。

「舞依ちゃん」
「あ、判者さま。それにふたりもどうしたの」

 紙袋を大事そうに抱えながら舞依が駆け寄ってくる。

「私たち、これから鷹屋さんのお店へ行こうと思ってて」
「そうなの? じゃあ私も行こうかなぁ」
「うん、よければ――」

 言いかけたさきの言葉は尻すぼみになった。舞依の背後から、店を出てきた姿に驚いたからだ。

「おや?」
「あなたは……」

 忘れもしない。数日前に坂の下で「逢魔が刻だ」と忠告してきた久能くのだった。久能はさきたちを見渡すと、にこりと微笑む。

「またお会いしましたね」

 さきは素早く店に目を向けた。久能古書店と書かれている。

「ここってずっと閉まってなかったか?」

 怪訝そうに林吾が言った。

「ええ、かなり前に一度クローズしたんですが、わたしが再開しました。久能と言います。どうぞお見知りおきを」
「ふーん、古書店かー。マイとか好きそう」
「うん。今日も一冊買っちゃった」

 林吾に向かって舞依は紙袋を揺らす。

「君が桃園林吾くん、それから君が空谷真秀くん。そしてあなたが……野々上さきさん」
「!」

 久能の目がすっと細まった。瞳が新月の夜のような暗闇の色で、さきの背中は微かに粟立つ。

(まただ……)

 久能に見つめられると、心の奥底まで覗かれている気分になってしまう。

「なんでオレたちのこと知ってるんすか」
「ここに住んで、歌詠みをしている人たちを知らないなんてことはないさ。あのときは判者さまとは知らず、大変失礼をいたしました」
「いえ……」

 さきがぎこちなく首を横に振ると、久能はくすりと笑う。それから少し真面目な表情に戻った。

「ところでもうお聞きになりましたか。少し前に救急車で運ばれた男性がいたとかで」
「それ赤松さんって人だろ。オレたち家の前で見てたよ。な、マホ!」
「うん」
「そうですか……何やら不穏な噂が立っているようですね。その方が『怪物』という言葉を言ったとかなんとかで。それで土地神さまに何かあったのではという話を耳にしました。いやはや、祖父や父に結倉の話を聞いていたときも思いましたが、本当に妙な土地だ」

 その言葉にさきの気分はまた少しだけ暗くなる。
 すでにそのような噂が立ち始めているのは、前回のことがあるからだろう。かといってつなとの話を住民たちに聞かせるわけにもいかない。

「そんなのただの噂だって、わかりゃいいんだろ?」
「時期的にもそろそろ歌合のころだよ。判者、三度目の歌合を開こう」
「そうですね。お題については改めてみなさんに告知いたします」
「おっしゃぁぁ! 次も頑張るぞー!」
「桃は気合を入れすぎ」
「いつも通りすればいいのよ」

(歌合を開けばきっと……)

 そう思っても、なぜかさきの心は落ち着かなかった。


 さきたちが実臣のバーへ向かってしばらく経ったころ。久能古書店のレジ前で本を読んでいた久能の前に大きな影が立った。

宇紋うもん、戻りましたか」
「ああ」
「それで様子は?」
「病院に探りを入れてみたが原因不明のようだな。意識はまだ戻っていないらしい」
「そうですか……」

 久能は本を閉じると、白く細長い指先で自分の顎を軽く叩く。

「おそらく一人目」
「思ったより、ことは早く進みそうだな」
「そうでなければ。せっかく結倉に戻ってきたのだから」

 どこか歌うような口調で久能は言うと、唇に笑みを浮かべてみせた。
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