三つの謎

 実臣のバーから出たみことと林吾は、門脇宅へと向かった。
 薄い雲がたなびく水色の空の向こうに、雨雲が見える。そういえば【昨夜】は雨が少し降っていたっけ、とみことは思った。

「なぁ、ミコトって門脇さんの知り合いなのか?」
「なんで?」
「自分で調べるって言い出したから」
「あー。倒れた門脇さんは、高校でクラスが一緒だったヤツの父親」
「え、超知り合いじゃん」
「クラスメイトだったってだけな」
「それすげー知り合いだと思うんだけど」
「そうか? クラスが一緒でも、一度も喋らない相手ぐらいいるだろ」
「オレいない」

 ぶんぶんと首を横に振る林吾を見て、みことは唇を歪める。

「ぞのに聞いた俺が馬鹿だった」
「クラス一緒で喋んないとかあんの? ありえないんだけど。てゆーかミコトって、そーゆーとこクールだよな。あれ、こういうのってクールって言う?」
「……ドライの間違いじゃない?」
「あ、それだ。ドライ!」
「いつも誰かと一緒にいたいとか、そういうのないしなぁ」
「まじで? ワイワイすんのってすんげー楽しいし、クラスみんな仲がいいと、めちゃ楽しいのに」
「だろうね」

 本心からとは思えない笑みを浮かべながら、みことは横断歩道を渡っていく。その迷いなく足を進める姿に、林吾は怪訝そうな表情を浮かべた。

「仲いいわけじゃねーのに、家は知ってんの?」
「先生に頼まれて、欠席した門脇の家に一度プリント届けたことがあるんだよ」
「それで道を覚えてるわけ?」
「一度行けば十分」
「ムリだって!」

 ウッソだろ、ありえね~と叫ぶ林吾を連れて、みことは角を曲がる。そこは住宅街の少し細くなった道で、記憶の映像とぴったり重なった。しかし以前と違うのは、その道に何人もの人が立っていたことだ。みことは小さく笑う。誰もが知り合いの結倉で、救急車を呼ぶようなことが起きれば、近所の人が集まってこないわけがない。

「おわ、人がいっぱいじゃん」

 背後から林吾が顔を出して言った。

「手分けして話を聞いてみるか」
「オッケー!」

 みことの横をすり抜けて、林吾は人混みに飛び込んでいく。そのフットワークの軽さに半分感心、半分呆れながら、みことも足を進めた。


 一方、さきと舞依、そして真秀は浮宮神社に向かうと、拝殿にお参りをして御神木へ向かった。さきがつなに呼びかけると、柏手かしわでの音と共につなが顕現する。

『これはこれは判者さま、本日はいかがされましたか』
「実は……」

 さきが身の回りで起きている現象を伝えると、つなは何度か目を瞬かせた。

『時間が戻っている?』
「少なくとも、昨日……と思っている土曜日が、今日も繰り返されてるみたいなの。でも結倉の人たちは気づいていないんだ」

 そこまで言って、さきは不安げに神使を見下ろす。

「つなは何も感じていない?」
『ええ。判者さまに言われても、ピンときておりませぬ。ただ、わたくしは判者さまたちとは違う時間軸におりますから、そういったことにあまり敏感ではないのやも』
「そっか……歌詠みのみんなも時間が戻ってることに気づいたから、勘違いではないと思うのだけど」
『ふぅむ。時間が戻ってしまう……そんなことが』

 難しげな顔つきのつなだったが、ふいに耳がピクリと動いた。ぐるると喉を鳴らし、歯を剥き出す。

『誰かおります、判者さま』
「え?」

 つなの視線の先を見ようと、さきは急いで振り返った。そこには時の停止により固まっている舞依と真秀の姿と――

「……!」

 境内の拝殿に近い茂みから、人影が走って行くのが見えた。さきの心臓がぎゅっと縮まる。

(嘘、どうして――)

『あの者……いったい、なぜ』

 驚愕の表情で、つなも人影が姿を消した方角を見つめている。

『わたくしの結界の中で動けるなんて』
「お、追うべき?」
『いえ、判者さま。それは危険でございます。あちらが動けていたということは、こちらの姿も見えていたかもしれません。用心なさいませ』

 そう言うと、つなは手に持った笏でもう片方の手を打った。すると白と灰色のまだらな鳩が一羽、音もなくつなの横に舞い降りる。

『追え』

 鳩はあっという間に羽ばたいて、空へと消えていった。

『このご報告は後ほど必ずや。ところで判者さま、先ほどの【時間が戻っている】という現象ですが、それを聞いたとき、わたくしの頭にすぐに浮かんだものがございます。ですがそれは……ありえない話ですが』
「話してくれる、つな?」
『もちろんです。【時間が戻る】という現象を可能にするものが、この結倉にはございます』
「え!」
『かつて結倉にて誕生し、長きにわたり人々を見守られてきた産土うぶすなさまが、持っておられた神器のひとつがそれにございます。強大な結界を施す【水鏡】なのです。もしあの水鏡があったのなら、わたくしは迷いなく神器の関与を疑ったことでしょう』

 さきは微かに眉を寄せる。

「今はもうない、ということなの?」
『さようでございます。産土さまの神社は取り壊され、水鏡も時代を経る中で失われたと、つなは記憶しております』

(つまり、産土の神器は関係していない……)

『ただ、なんとも妙な感じなのです』

 つなは戸惑う表情をさきに向けた。

『産土さまの神社は取り壊された――それははっきりと覚えているのに、なぜか、神社がどこにあったのかが思い出せないのです』
「え……」
『そんなことがあるのでしょうか? なぜわたくしは覚えていないのでしょう。今はお隠れとなったとはいえ、結倉を育んだ、大切なお方が在った場所を』


 さきはつなと話し終えると、真秀と舞依と一緒に、実臣のバーへ戻った。すでにみことと林吾は戻っており、カウンターの中には実臣の姿もあった。

「みことたちから話は聞いたよ。情報集め、お疲れさん。これは俺のおごりね」

 そう言うと実臣はテーブルにランチプレートを運んでくれる。ハンバーガーとサンドウィッチ、サラダとポテトフライが乗った大皿だった。さきたちはありがたくご馳走になることにして、さっそくそれぞれの情報を共有することにした。

「オレたちは門脇さんとこに言ったんだけど、めちゃくちゃ野次馬が集まっててさー。おかげで情報は集められたよな、ミコト?」
「まあ真偽はたしかじゃないから、なんとも言えないけど。以前の赤松さんと同じ話が、もうちょっと詳しく聞けたって感じかな」
「門脇さんが言ってた話によるとさ、ペタペタ音がして振り返ったら、自分の影を舐めてる、黒くて角の生えた変なのがいたんだって」

 林吾の言葉にさきたちは黙る。

(黒くて角が生えた変なの……)

「それって明らかに人間じゃないわよね?」
「角ってことは、牛とか」
「結倉で酪農している人なんていないでしょ」
「う……」

 舞依と林吾が顔を見合わせる。

「じゃあ……常夜とこよの何かってこと?」

 さきが言うが、それに答えられる者はいない。それにもし常夜の何かだとすれば、大問題だ。今まで一ヶ月に一度は歌合を行ってきたのに、まったく意味がないということになる。

「門脇さんも『怪物』って言葉を使ってたから、赤松さんを襲った何かと同じと見てよさそうだけど」

 みことが、ジンジャーエールのグラスに手を伸ばしながら言った。

「判者さんたちはどうだった?」
「私たちは……」

 実臣の問いかけにさきは口を開く。

「すみません、時間が戻っている理由については、手がかりを得ることができなくて。ただ調べていたときに、私たちの傍から人影が走り去るのを見たんです」
「人影? そんなのいたっけ?」

 不思議そうに真秀が言うと、さきは「あっ」と軽く声をあげた。
 つなと話しているときは【時】が止まった状態になるため、真秀たちにはわからないことをうっかり失念していた。

(どうしよう、言うべきなのかな)

 少し迷ったが今は異常事態だ。さきは思い切って事実を話すことにした。

「みなさんには言ってなかったんですが、判者には、浮宮神社の御神木の神使が見えるんです。それでその神使に、えっと、つなって名前なんですけど、彼を呼ぶと私の周りの【時】が止まるんです」

 そんな話をされるとは思っていなかった歌詠みたちに、戸惑いの表情が浮かんだ。

「……マホ、【しんし】って? ジェントルマン?」
「その紳士じゃない。神さまに仕える存在のこと。稲荷神社だとお狐さまたちをそう呼ぶことがあるでしょ?」
「あー、あれなぁ。ってええええ、先輩、そんなのとお話を?」
「お前、妖怪タヌキ村に行ったくせに、そんなことで驚くなよ」

 実臣が言うと、みことや舞依が軽く吹き出す。

「話を戻すけど、その神使の力で止まっているはずの【時】の中で、判者以外にも動ける人がいたってこと? ありえなくない?」
「はい……つなも驚いていました」

 さきが真秀に言うと、他の四人も事の重大さに気づいたのか、表情を改める。

「それが誰かはわからなかったんだよね?」
「わかりませんでした。でもつなが鳩に命じて後をつけさせたので、何かわかれば連絡が来るはずです」
「鳩? そんなのに命令できるんだ……まあそれはいいや。とにかく何かあったら共有をお願い」
「もちろんです」

 みことに向かってさきがうなずくと、沈黙が降りる。
 今の結倉で起きている問題は三つ。
 ひとつは期間をほぼ空けずに、ふたりの男性が【怪物】に襲われて倒れたこと。ふたつ目は時間がターンしている可能性があること。そして三つ目は、つなの結界をものともせずに動けた存在。

「奏一とまったく連絡が取れないのも困ったもんだな」

 実臣がぽつりと呟いた。

「家も留守でいなかったから、あいつがどこで何をしているかがわからないんだ。【昨日】はメッセに既読つかなかったのを、そこまで気にかけなかったけど……」
「心配ですね」
「ああ」

 舞依と実臣が神妙な面持ちになる。

「変な話ですけど、明日になるのを待ってみませんか? もし明日が日曜日になれば時が動いたことになりますし、また土曜日だったらターンしていることが確定します。その場合、時が進まない限りは佐波さんと連絡できないと見ていいかと」
「判者さんの言う通りだね。それにもし明日もターンしてても、動きはあるかもしれないし」
「どういう意味だよ、ミコト?」
「今日は昨日と同じ土曜日だけど、昨日なかったはずの『門脇さん襲撃』が起きたわけでしょ。それって、結倉全体の時間軸は繰り返されていても、干渉せずに進む時間軸も存在しているってことになる」
「は? へ?」
「そっか。だったらどんな変化も見逃せないね……気をつけないと」

 舞依が言うと、誰からともなく同意するようにうなずく。その様子を見渡した林吾が、思い切り顔をしかめた。

「待て待て。みんな理解したみたいな顔すんな! オレ、わかんねーって!」


 断続的な水音に奏一は目を覚ました。
 ひんやりとした風が頬を撫でていく。それは土地神さまの空間のものと似ていたが、あそこのものとは違い、嫌な感じで背筋が寒くなる風だった。

(私は……いったいどこに……)

 ひたひた、と音がする。
 横たわっていた奏一は痛む後頭部に顔をしかめながら、音の方向へ視線だけ向けた。そこには、あのときの女性が立っていた。

「あ、なたは」
「…………」
「なぜ、どうして……ここはどこですか」

 しかし女性は奏一から悲しげな目を逸らすと、暗闇の向こうに視線を注ぐ。

「あとひとり」
「え……」

 ぽつりと呟いた女性は、またひたひたと音を立てながら闇に飲み込まれていった。
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