点と線

 天井に向かって上げていた片手を、さきはぼんやりと眺め、力なく下ろした。サイドテーブルでスマホが震える。手にするとメッセージの着信だった。

「桃園くん……」

 ぽつりと呟いたさきは我に返った表情になると、スマホの画面をカレンダーに素早く切り替える。表示は土曜日だった。肩を落とし、ため息を吐く。

「駄目だ……やっぱり戻ってる。でも昨日よりも気づくのが早くなった」

 さきは林吾へのメッセージに、今日は実臣のバーには行けないこと、そしてカレンダーが土曜日に戻っているということを伝えた。
 ベッドから出て洋服に着替えていると、林吾から再びメッセージが届く。

『だーっ! やられた! 先輩のメールで思い出したっす! 了解です、今日は集まらないってことで!』
「ふふ……」

 絵文字がたくさん使われた賑やかなメールを読み終えると、さきは「さて」と考える。これで時間が土曜日を繰り返していることは確定した。ならば、その原因を探るべきだろう。襲われて意識を失った男性たちのことも気になるが、あれこれと手を出さず、ひとつずつ調べていくのが堅実だ。
 それに万が一どちらも関係していることなら、いずれどこかで繋がるはずだ。

「問題なのは、つなも原因がわからないってことだよね」

 ノーヒントでこれを解決するのは、かなり至難の業に思える。
 ちなみにつなが放った鳩は、【昨日の夕方】にさきの家を訪れた。以前同様、文を咥えており、そこには「途中で見失った」という旨と、丁寧な詫びがしたためられていた。つなは浮宮むく神社の御神木の神使であり、歌詠みと判者を見守ってきた存在だ。その彼が作る結界に干渉せず、また追手をまくだけの力を持っている者とは一体、誰なのか――。

「……わからないことだらけだ」

 顔をしかめながら、さきは台所で湯を沸かす。紅茶のパックを空のマグカップに投げ込むと、椅子に座って、考えを整理するために紙に箇条書きを始めた。

* 結倉の時間がターンしている。ただしつなはこのことを感知していなかった
* つなの結界の中で動いていた人影。誰なのかはわからずじまい
* 男性がふたり、「怪物」と遭遇? 意識不明で病院に運び込まれる。これは【一回目の土曜日】には起こらなかったこと。
* 佐波さんが行方不明(ターンの問題で会えないだけかもしれない)

 四つの文章を眺めたあと、さきは付け加える。

* 産土うぶすなさまが持っていた宝具のひとつに、強大な結界を張る【水鏡】がある。それならば、結倉の時間をターンさせることが可能とのこと。ただし、産土さまがお隠れの際に宝具もなくなったらしい。

「水鏡か……」

 さきの脳裏に、夢の出来事が浮かんだ。月に照らされた自分の姿を映す足元。あれはそう、まるで――鏡のようだった。
 やかんが鳴り響く音にはっとして、さきは立ち上がり、カップに湯を注ぐ。立ち込める湯気をぼんやりと眺めた。自分の思考もゆらゆらと揺れている。様々なことが不明瞭で、それでいて何かが起きていることだけは明確で。
 しばらく黙って紅茶を啜っていたさきは、箇条書きの紙に手を伸ばす。そして最後に一文を書いた。

 ――産土さまの神社があった場所はどこ?


 家にこもって考えているのにも限界があったので、さきは外に出て散歩することにした。心のどこかで、つなが「わからない」と戸惑っていた、産土の神社を探すことができればという思いがあったからかもしれない。
 自宅アパートからさきが出ると、ちょうど建物の前を大家の神谷が掃除していた。

「神谷さん、こんにちは」
「あら~、判者さま。こんにちは。どこかにおでかけ?」

 今日の彼女は目の覚めるような黄色のTシャツに、薄緑のチノパン、そして首にはチョコレート色のスカーフを巻いていた。少し早い、向日葵の化身のようだった。
 さきは【以前の土曜日】はすでにバーにいたので、神谷に会うパターンは今回が初めてだ。ややこしいと思いながら、さきは神谷に笑顔を向ける。

「ちょっと散歩を」
「いいわねぇ。今日はひさしぶりの晴れ間みたいだから」
「あの……神谷さん、ひとつ聞いてもいいでしょうか」
「あら、わたしに答えられることかしら」
「かつて結倉をお守りしていた産土さまの神社が、どのあたりにあったかというのはご存知ですか?」
「ああ、それなら……」

 神谷は笑顔になった。けれどそれも一瞬で、怪訝な表情に変わる。

「あらやだ、どこだったかしら。おかしいわね。知っているはずなのに」

(つなと同じことを言ってる……)

「わからないなら大丈夫です。ごめんなさい、変なことを聞いて」
「いやねえ、歳を取るとすーぐ忘れちゃうの。わかったらすぐに連絡するわ」
「ありがとうございます」

 さきは神谷に丁寧にお辞儀をすると、道を歩き始めた。
まだ歩いたことがない場所を意識しながらの散歩は、「こんな場所があるのか」ということを知れた意味では、とても実のあるものとなったが、肝心の産土の神社はやはり見つからなかった。

「そんな簡単にはいかないかぁ」

 内心で少しだけ期待していたさきは、がっかりしながら目の前の道を見上げる。
そこは以前にも来たことのある坂道だった。途中から階段になっているその坂を、さきはゆっくりと登り始める。

(この先って――)

「おや?」
「わっ!」

 坂の上から、突然現れた人物にさきは驚きの声を上げる。口元に涼やかな笑みをたたえた久能くのが立っていた。

「これはこれは。またお会いしましたね」
「こんにちは」
「初めてのときも、ここでした」
「そうですね……」

 久能は足取り軽く、さきのところまで降りてくると立ち止まる。

「お散歩ですか」
「はい」
「いい天気ですからね」
「ええ……」

 また上に行くのを止められるかと思ったが、まだ日は高く明るい。さきは気を取り直して久能に頭を下げたあと、横を通り過ぎた。階段を上がっていくと徐々に坂の上が見えてくる。鼓動が少しだけ速まった。
 この上は――。
 階段を上がり切ると、さきは足を止める。目の前にあったのは何度も舗装された、古くて細い住宅街の道だった。なんの変哲もない光景に、思わず拍子抜けの気分になる。

(あれ、私は何を期待していたんだろう?)

「殺風景になりましたよね」

 背後から声を掛けられ、さきは振り返った。久能はまだそこに立っていて、さきを見上げている。

「以前は道路の脇に植物が植えられていたそうですが、すべて枯れてしまったようで」
「植物が?」
「ええ――雪のようなアナベルと、淡桃のプレジオサが」
「……!」

 久能の声にさきの視界が歪む。
 あ、と思った瞬間、身体が斜めに倒れ込んでいった。

「大丈夫ですか」

 久能が駆け寄り、さきを抱きとめる。しかし、さきは返事ができなかった。浅く呼吸をしながら、久能に身体を預け続ける。

「貧血でしょうか。さあ、座って」
「す、みません……」

 階段に座り込んださきの近くに、久能もしゃがみ込む。

「水は必要ですか?」
「いえ……平気です」
「ここは気をつけたほうがいい。判者のあなたなら、ご理解していると思っていましたが」
「え……?」
「十五年ほど前に、ここでひとりの女の子が【神隠し】に遭ったそうです。その女の子は、こちらの時間で三日ほど経過したのちに戻ってきましたが、帰還した際に吹いた風が、ここ一帯の植物をすべて駄目にしたそうです。以来、どうやっても芽吹かない土地となったようで」
「それって」

 さきが息を呑むと、久能は薄く微笑んだ。

「あなたのことです、判者さま。あなたは戻ったが、ここはこの世でない場所の風に撫でられた。死んだ土地なのです」
「そうか……ここって……私があの空間に引きずり込まれた場所だったんですね。でも、なぜあなたがそんなことを?」
「わたしが何故知っているのかということよりも、あなたには、この結倉の歪みに気づいてほしい」
「…………」
「かつての産土がお隠れになったのは、言霊の神の影響です。そしてその神は今も嘆きを止められず、歌詠みたちの慰めなしには、この世と常夜を隔てておくこともできない」
「でもそれは――」
「もし……かつての産土が復活を遂げたら、結倉は本来の土地神の守りを得られ、平和は取り戻される。そして歌詠みたちの力は不要となる。そう考えたことは?」

 思いも寄らない問いかけに、さきは言葉を失った。産土が復活――そんなことができるのだろうか。

「どうしてそんなことを言うんですか。あなたは、それを願っているんですか」
たくみ

 ふいに新たな声が割り込む。さきは階段の下から大柄な男が自分たちを見ていることに気がついた。

宇紋うもん
「いつまでもぶらついてないで、いい加減に店に戻ってくれ」
「すみません。つい梅雨の晴れ間が嬉しくて」

 久能は微笑むと、さきに視線を戻す。

「彼とは初対面ですよね?」
「自分で名乗れる。都鳥宇紋とどりうもんだ。巧とは昔からの知り合いで、今は古書店を手伝っている」
「初めまして」

 さきは都鳥に会釈をした。

「どうやら楽しい時間も終わり。戻るしかなさそうですね。判者さま、ご気分はどうですか」
「あ、もう問題ありません。すみません」
「よかった。とにかくここにはあまり訪れないほうがいい。特にあなたは」

 そう言うと久能は立ち上がり、都鳥と一緒に坂を下りていく。ふたりの後ろ姿をぼんやりと眺めていたさきだったが、はっと視線を揺らした。

(都鳥さんの、あの背格好――)

 浮宮神社で逃げていった人影にそっくりなことに気づくと、さきは反射的に立ち上がる。まさかそんなはずはと思いながらも見つめているうちに、ふたりは坂を下りきって、その姿は見えなくなった。
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