解を求む (野々上さき)

 夕焼けが窓から差し込み、部屋を真っ赤に染め上げる。
 
「はぁ……どうしよう」
「さき、いいかな?」
「あ、はーい、どうぞ」
 
 手紙に目を落としていた私は、ノックの音に背後を振り返った。
 入ってきたのは奈央さん。
 福山奈央ふくやまなお。血の繋がりはないけれど、十年以上一緒に暮らす家族同然の男性だ。四十を越えても甘い顔立ちで、幼く見られると肩を落としているけれど、いつも穏やかで優しい奈央さんが、私は大好き。
 
「夕飯の買い出しに出かけようと思うんだけど、一緒に来ない?」
「行く!」
 
 部屋で悶々もんもんとしていたところへの渡りに船。外の冷たい空気を吸うのは、気分転換にいいはず。私はいそいそと手紙をたたみ、椅子から立ち上がって、フックからコートとマフラーを取った。
 
「最近、日が短くて困るよ。仕事しているとあっという間に真っ暗だ」
「今が一番短いからね」
 
 歩いて十五分くらいのところにある大型スーパーまでの道、冷たい二月の風に吹かれながら奈央さんと歩く。
 
「今日は何を作るの?」
花山椒はなざんしょうが効いた麻婆豆腐がいいって、兼也けんやが」
「兼也さん、またマニアックなリクエストを……」
「きっとまた本かニュースで見たんじゃないかな。だから今日は中華ね。麻婆豆腐と、おこわと、青菜と牛肉の炒めもの。デザートは杏仁豆腐」
「んんん、おいしそう~」
 
 楠永兼也くすながけんや。彼は奈央さんのパートナーだ。おっとりな奈央さんと違って、兼也さんはまさに体育会系の男性。新卒で入った会社で配属された営業が性に合っていたとかで、二十年経った今でも、毎日遅くまで外を飛び回っている。
 しっかり者でパワフルで、心がとびきり温かい。わたしの大好きな、もうひとりの家族。
 ちなみに血の繋がりのある両親も健在している。他県で暮らしているけれど、毎月、連絡を取り合っているし、遊びに行くことだってある。
 
 ――どうして私が両親と暮らさず、奈央さんたちと暮らしているのか
 
 それにはちゃんと理由がある。
 私は六歳まで結倉に住んでいた。そのときは両親と一緒に。
 海と山に囲まれた結倉は私の大好きな町。土地神さまに歌を捧げる風習も、歌を詠む人々も好きだった。
 だけど六歳の年、ある事件をきっかけに、私は一時的に結倉を離れなければいけなくなった。
 両親はすっかり心配してしまい、その結果、私は奈央さんと兼也さんと暮らすことになった。ふたりが選ばれたのは奈央さんが元歌詠みで、しかもかなりの実力者だったから。
 奈央さんの傍にいれば、もし何かがあったとき・・・・・・・・・・も、それなりの対処ができるだろうと踏んでのことだ。
 私が六歳のときには、すでに奈央さんは結倉を離れ、今いる場所で兼也さんと生活していた。そのことも、両親や当時の判者は、環境として申し分ないと思ったのだろう。
 奈央さんも兼也さんも事情が事情とはいえ、よく承知してくれたなって、今でも思う。だって見も知らぬ六歳の女の子が、突然一緒に暮らすことになったら、誰だって戸惑いはあるはずだから。
 でもふたりは私を迎えいれてくれて、大丈夫だよって守ってくれて、育ててくれた。この人たちといれば、何も怖くないんだって思えた。
 
「ねえ、さき」
「んー?」
「判者になるって決めたの?」
「え……」
「部屋に行った時、また手紙を見てたでしょ」
「……ま、まだ決めてない」
 
 何を言われるだろうと思いながら視線を向けると、奈央さんは私を見ずに、前を向いていた。
 
「もう返事をしないといけないことは、わかっているよね?」
「うん。判者の手紙には、四月に結倉に来て欲しいって書いてあった」
「さきが辞退すれば、別の判者を探さなくちゃならない。返事を延ばせば、次に選ばれた人の準備に支障が出てくる」
「……うん」
「それでも君はまだ返事をしていない。それって、さきの心がもう決まっているからじゃないの?」
「え」
 
 奈央さんの静かで、確信した声。
 逆に私の鼓動は跳ねあがる。
 
「どう?」
「……っ」
 
 今度こそ目が合った。心の奥を見透かすような眼差し。歌詠みとしての力はもうほとんどないのに、彼の目に見つめられると「力」を前にしたみたいに、私の背中はいつも粟立つ。
 
「……そんなことない。決めてないよ」
「そうなの?」
「だって十四年も離れていたんだよ? 不安にならないはずないよ。判者がどれだけ大切な存在か知っているのに……もし私にちゃんと務まらなかったら――」
「最初から立派に務められたら、誰も苦労はしない。それに判者は君を選んだんだ。なら、それにはきちんと理由がある。だから指名されたことに対して、さきが無闇に不安になる必要はないんだよ」
 
 奈央さんが吐き出す真っ白な息。
 ゆらりと視界の中で溶けて消える。
 
「奈央さんは、歌詠みに選ばれたときどうだった?」
「あはは、昔のことを聞いてくるねぇ。どうだったかな……少しは緊張したと思う。だけど、自分がすべきことをしようと思ったことは覚えているよ」
「すべきこと……か」
「ねえ、さき、君がどうしたいかそれだけを考えなさい。十四年前のことを含めたうえで、君がこれからどう生きたいか」
「…………」
「私はさきが決めたなら、それが最良のものだと思う。大丈夫、さきは浩輔こうすけさんとななさん、私と兼也の娘なんだから」
 
 奈央さんが微笑む。私は……何も言えなかった。
 だからせめて、奈央さんの言葉を受け止めたいと思った。両手で、全身で――心で。
 紺色の夜に落ちていく空を見上げれば、透き通った月が浮かんでいた。そこに答えがあるわけでもないのに、私はじっと見つめる。
 
(私はどうしたい? あの結倉へ帰りたい? 判者を……引き受けたい?)
 
 これから、どう生きたい?
 何度も心で反芻しながら、歩き続けた。
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