焔の約束 ~鷹屋実臣エンド~

「どうすりゃいいんだ、これ」

 実臣は舌打ちをしながら呟いた。それは誰に向けて言ったわけではなく、思わず口をついて出た言葉だった。
 久能は土地神を鎮めろと言った。たぶんそれは間違いではないだろう。しかし空間の状況から実臣が肌で感じたのは、土地神の【怒り】ではなく【困惑】と【悲しみ】だった。

「要するに、不測の事態にパニックってるってことか」

 こちらを目掛けて飛んでくる黒い影から身を避けながら、実臣は沈んでいくさきに向かって走った。

「実臣!」
「奏一、お前はそこでみんなを守れ!」

 それだけ叫ぶと黒い闇に飛び込む。土地神を鎮めるためには判者が必要不可欠だ。まず、さきを助けなければならない。

「問題は産土さまかと思いきや、土地神さまをなんとかしなくちゃいけないなんてな」

 闇を掻き分けながら実臣はさきに近づくと、腕を差し入れて引っ張った。しかしさきを取り込もうとする闇の力は強く、気を少しでも緩めれば、実臣も引きずられそうになる。

「判者さん、しっかり。意識を奪われちゃ駄目だ」

 呼びかけるものの、さきの目は閉じられたまま。青白い顔をしているが、それを抜かせば眠っているように見える。さきの額に手をかざした実臣は眉間にしわを寄せた。彼女から感じる気配が遠い。恐らく心を囚われて、目覚めることができないのだろう。

「まいったな……呼びかけるだけじゃ駄目なら、どうすれば……おっと」

 実臣は自分とさきを取り巻く闇が、さらに濃くなったことに気づいた。足元はすでに何も見えなくなっている。

「悠長なこと言ってらんないな」

 焦りを感じた実臣は、視界にチカチカと瞬く光に顔をしかめた。視線を向ければ、そこに浮んでいたのは月だった。

「え……」

 ほぼ満月に近いかたちをしている。一瞬、呆けた表情を実臣は浮かべたが、脳に理解が到達すると背中は粟立った。

「幾望の月なのか? だが……」

 浮宮神社に到着したのは午前も早い時間帯。月が昇るはずはない。実臣はもう一度、幾望の月を見た。
 ――そんなはずはない、なんて本当に言えるのか
 時間を繰り返す封印が存在するのなら、時間の速度が変化する影響が出ていたってもはや不思議ではない。だとすれば。

「あの月は本物と見るべきか」

 つまり刻限は差し迫っている――実臣は腕に力を込めて、さきを引っ張り出そうとした。しかし闇はさきの全身に絡みつきながら、ゆっくりと着実に沈めていく。

「くそっ! 判者さんを離せ、この……!」

 実臣の声に混じって、地を這うような地響きが轟いた。驚いた実臣は辺りに視線を巡らせる。空間にそびえる分厚い石のモニュメントが、いつのまにか暗闇の奥に出現していた。

「次から次へとどうなって……」

 目を凝らすと、それは二枚隣り合った扉だと気づく。そして扉が薄く開き始めていた。途端、冷たい風が実臣に吹きつけ、吐く息を真っ白へと変える。

「……っ」

 汗ばむ額が痛かった。伝っていたはずの顎の汗が、瞬く間に氷へ変化する。扉の向こうからの風は、今まで体感したことのない深い地の底の冷気だった。
 ――常夜
 実物など見たことはないし、どんなものかも知らないはずなのに、実臣の心は確信した。扉の向こうは常夜なのだと。
 幾望の月は天頂を目指している。封印はもうまもなく完成される。それすなわち、歪みきった理が結倉と常夜を結ぶを意味していた。冷気に当てられただけではない悪寒が実臣の全身を襲う。さきの顔を見ると、その前髪やまつげに霜が降りていた。

「判者さん!」

 真っ青になった唇に、実臣は動揺の声を上げる。
 このままでは本当に――まずい。思考が一瞬止まり、目の前が真っ白になった。

『君って、いつもどこかつまらなそう』
「……え」

 気づくと実臣は屋上のフェンスに寄りかかっていた。場所は理解できたが、さすがに状況把握は追いつかず言葉を失う。今まで土地神の空間にいたはずだ。

「どう、なって」

 目の前にいる制服の人物に見覚えはあった。忘れるわけがない。高校のときに付き合っていた恋人だ。

『楽しくないの、人生?』
「え……や、そんなことはないけど」

 今よりも少し若い自分の声に実臣は戸惑う。見れば、自分も高校の制服を着ていた。
 ――これは、高校時代の記憶なのか
 逆光の恋人を見上げると実臣の胸はしくりと傷む。その身体の反応に少しだけ驚いた。これはとっくに終わった恋で、とっくに決着はついていて、そしてそこから自分は歩いてきたはずだったから。
 ならばどうして今、こんなときにこんな場面を見ているのだろう。さきを助けなければならないのに。結倉の一大事なのに――実臣は考えた。そしてひとつの答えが浮かぶと、思わず自嘲気味に笑った。

「俺が弱気を見せたからか。お前のことは闇が見せてるのか?」
『…………』

 目の前にいるのは、最も弱い心だったときに心を重ねた存在だ。案の定、かつての恋人との記憶に実臣の心は揺れ動いた。
 隙きを突かれた自分が腹立たしくなる。そして、こんなことに姿を使われた恋人に申し訳なくも思った。こんなふうに思い出したくなどない。どうであれ、なんであれ、あのときの想いはかけがえのないものなのだから。
 実臣は意識して深く息を吸い込む。

「本物じゃないお前に言ってもあれだけど、俺はいま人生を楽しんでるよ」
『…………』
「歌詠みは大変だが家も何も関係ない。俺は俺の歌を詠んで、これからも判者さんを助ける。それだけだ」

 ゆらゆらと揺れる逆光の姿を見据えた。

「約束したんだ。何かあれば俺の名を呼んでって」

 恋人の輪郭をなぞるように、真っ白に輝く光が溢れ出す。
 ――熱い
 ぽたりと実臣の顎から汗が伝う。

「あの子が待ってる。ここから今すぐに、出せ」

 自身の言葉がはっきりと耳に届く。実臣は目を開いた。真っ暗闇が渦巻くなかで、さきと取り残された状態のままだった。しかし、先ほどのように凍えるような寒さはもう感じなかった。胸の奥に熱が残っている。
 実臣はさきの青白い額にそっと手を置いた。

「必ず君を助ける」

清らかに火は揺れていていつの日かお前の胸を灯す――残照

 歌を詠むと実臣の全身から焔が立ち上った。それは身にまとう装束のように、ひらひらと揺れる、橙色の美しい炎だった。
 額に置かれた手から炎がさきへと移る。凍っていた前髪やまつげが雫を湛え、青紫の唇や頬は薄紅色へと変化していった。
 ――来る
 実臣は額から手を離し、さきの背中に腕を差し入れる。

「……っ」

 さきが大きく息を吸い込むと、周囲に澄んだ音が響き渡った。実臣はそのままさきを抱き起こし、片腕で抱き寄せる。

「判者さん」
「……鷹、屋さん」

 瞼を震わせながら目を開けたさきに、実臣は笑顔を見せる。

「ごめんな、助けるのに手間取って」
「……いえ」

 さきも唇に小さく笑みを浮かべた。

「来てくれるって、信じていましたから」
「約束が守れて嬉しいよ」

 暖かな焔に包まれたさきはもう一度、深呼吸をした。胸の中に取り込まれた熱が、身体の隅々まで染み渡っていく。心の中にあった心細さは、もうどこにもなかった。

「ありがとうございます」

 そこでさきは、奇妙な気配を感じて身じろぎをした。落ち着かなげに視線をあちこちに巡らせ、開きかけた常夜の扉の前に立つ、仄白い何かに目を留める。
視界が一度だけ大きく揺れた。

「あれは……土地神さま」
「なんだって?」

 実臣が驚いたようにさきの視線の先を見た。

「あのモヤが?」
「はい……」

 さきがうなずくと実臣も緊張した様子でモヤを見つめる。白く定まらない形のモヤは儚げに揺れながら、ふたりの前に浮かんでいた。

――金色の焔に身を包みし者よ

 砂地を滑る、透明で薄い波のような声が響く。実臣の背中は自然と伸びた。

――そなたの願いが、わたしの心の底まで届き
――その者の心を揺さぶり、目覚めさせ
――わたしもまた熱き焔によって、あの場所から引き上げられた
――歌詠みにふさわしき、歌であった

 モヤは大きく伸び上がり、辺りを包み込んでいく。

「土地神さま、あなたのために何をすればいいですか」

 さきが声を上げるとモヤは揺れた。

――すべきことは為した
――封印は解け、この土地のあるべき姿が取り戻されるであろう
――わたしはしばし眠りにつく

「ま、待ってください!」

 さきは拳を軽く握ると、勇気を出して再び声を上げる。

「私たちが為すべきことはまだあるはずです!」

 モヤは少し沈黙をしたのち揺れた。

――ときおり、産土との思い出に寄せて、わたしに恋の歌を届けよ

「……っ」

 軽く唇を引き結んだあと、さきはうなずいた。

「お届けいたします。今度こそ必ずあなたに……あなたの心に」

 モヤは波打ちながら大きく分厚い扉に当たった。地響きが聞こえ、開いていた扉が閉じられていく。広がっていくモヤは濃くなり、扉はまったく見えなくなった。
 それでもさきも実臣も動かず、白い世界が真っ黒な世界を塗りつぶしていくのを見続ける。
向こう側からまた声が聞こえるのではないか、と思いながら。


 数日後、さきたちは結倉駅のホームに立っていた。
 久能と都鳥を見送るためだ。

「こんなに早くに戻らなくても」
「問題は解決しましたから、いつまでも古書店の店長をしているわけにもいきません」
「……古書店……残念過ぎる」

 舞依ががっかりした様子で肩を落とす。
 暗闇に飲み込まれかけたさきを実臣が助けたあの日――土地神さまの白いモヤに包まれたあと、気づくと御神木の前に全員が立っていた。そして大慌ての様子のつなが空を見上げるよう告げると、結倉の空を飛び回っていた黒い影はあとかたもなく消えていて、細かな光が雨のように町へと降り注いでいた。
 光はしばらくすると止み、幾望の月が昇った夜空だけが残された。

『みなさまが捻れた空間へ入っていかれたかと思うと、しばらくして捻れが消え、そしてあっという間に太陽が昇って沈んでいったのです』

 つなは身震いしながら教えてくれた。

『あらゆることわりを覆す可能性があると判者さまには申し伝えましたが、時間の進みが速まるなど……なんとも恐ろしいことでございます』

 しかし澄んだ音がふいに響き渡り、それと同時に影が次々と消え、光が降り始めたのだと言う。時間の流れが正常に戻ったことを、そこでつなは感じたらしい。

『判者さま、そして歌詠み衆のみなさま、お疲れさまでございました』

 深々と頭を下げるつなの尻尾は、嬉しそうに大きく左右に振れていた。

「そういえば今朝バーに来た常連さんに聞いたんだが、野間さん、途中から階段になってる坂の上で、伸びてるのを発見されたらしい」
「野間さんが! 容態は?」

 思いがけない話にさきは驚き、実臣を見上げる。

「命に別状はないっていうか、病院に運び込まれたけどやたら元気だそうだよ。自分がどうしてそこにいたのか、それ以前のことも忘れてるみたい。あと、ちょっと……性格が変わった、みたいなこと聞いたかな」
「何それ?」
「豪快に笑うキャラになってて、見舞った人がビビってた」

 どうコメントしていいのかわからなかったのか、みことは黙り、そんな彼を見て、実臣も苦笑いを浮かべた。

「なるほど。彼はつくづくラッキーな人間ですね」

 くつりと喉を鳴らして久能が笑う。

「野間が産土神社の泉に目をつけたのは、産土の持っていた【水鏡】に近い存在と化していたせいでしょう。そこで儀式をし、壊せば、常夜の扉を開ける起爆剤になるとおそらく踏んだ」
「水鏡に近い存在……?」

 戸惑うようにさきが尋ねれば、久能は緩く首を傾げた。

「土地神が短歌を長きに亘って投げ入れ続けた泉は、もともと産土神社で力場だった場所だと思います。短歌の力と泉そのものの力が混じり合い、【水鏡】の代用を果たした……と考えるべきかと。結局、宝具の【水鏡】は出てきていませんしね」
「たしかに。変な話だけど、野間さんの目の付けどころは、ある意味まちがってなかったってことか」

 真秀がぼそりと呟く。

「まあ彼の場合、産土の復活を目論んだものの、実際に釣ってしまったのは土地神だったわけですが」
「そういえば私、思い出したことがあるんです。今となっては過ぎたことなんですが……」

 さきが口を開くと、歌読みや久能たちの視線が集まった。

「野間さんが鷹屋さんのバーに来て、三人目に倒れた大山さんの話をしましたよね。あのとき、『あれ?』って引っかかったんです。一人目は結倉が封印される前に倒れたけど、二人目は封印の後だった。翌日になればまた時間がターンして、結倉の人はそれに気づかないはずだから……」
「ああ、そうか。野間さんは【二人目】って言わなくちゃいけなかったのか」

 合点したように実臣がうなずく。

「あの違和感、気づけていれば、こんなことにはならなかったのかなって」
「それはどうでしょう。泉が壊されたことで、あなたたちは土地神の行為を知ることができた。気づかないままでいたら、どうなっていたかわかりませんよ」

 久能がさらりと言うと、「だよなぁ」と意外にも林吾が同意した。

「先輩、やっぱそれは過ぎたことだし、すげー大変だったけど、今回は事実を知れてよかったってオレは思います!」
「桃園くん……」
「ところで判者さま、産土さまは常夜に本当にいないの?」

 舞依の問いかけに、さきは少し黙った。

「お隠れになった神さまは【常夜】でない場所に行くのかもしれないし、あるいは、存在自体が消滅するのかもしれない……でも本当にどうなったかは、私たち人には永遠にわからずじまいな気がしてる」

 ただ、この世に戻ってくることはない。二度と。
 産土は言霊の神に別れの挨拶をしたとき、はっきりとそう告げていた。さきが確信を持てるのは、それだけだった。

「そっか……」

 舞依は少し俯き、黙る。

「なぁ、話を前に戻すけどよ。野間さんの性格が変わった理由って、結局なんだったんだ?」
「ああ……泉にあった恋歌は、鷹屋さんと判者さんの力によってすべて消えたでしょう? そのとき、野間の心に巣食っていた念も浄化されたのだと思いますよ」
「浄化って……それで豪快おじさんになったってのか?」
「陰気を食われて陽気になった。これをラッキーと言わずになんと言えば?」

 にこりと笑う久能に林吾が呆れたように「うへぇ」と唸った。

「でも、それで野間さんが二度と産土さま復活を考えないなら、いいことだよね」
「先輩、それお人好し過ぎるっすよ! 奏一さんなんて連れ去られてひどい目に遭ったんすよ!」
「私も判者さまと同じ考えだよ、林吾」
「奏一さん、仏っすかー!」
「で、判者さまたちが土地神から聞いた言葉ですが、『しばらく眠る』と言ったんでしたね?」
「はい」

 視線を林吾からさきに戻しながら、久能が言った。隣にいる実臣は身構えたのか、その身体が微かに揺れる。

「いずれ土地神が目覚めたとき歌合はまた必要となる。土地神の御心に囚われていたあなたなら、わたしの言っているこの意味……わかりますね?」
「……はい。土地神さまは、今後も恋歌を所望すると言っていました。歌合はこれからも続いていくでしょう」

 産土を喪失したことで生まれた大きな大きな空洞。土地神のあの悲しみを少しでも埋められるよう、恋の歌を届けねばならない――いや、届けたい。そう思うことは烏滸がましいかもしれないけれど、さきは心の底からそう思った。
 それは五十年、百年……いや、千年かかるかもしれない。

(それでも私たちは――結倉は、土地神さまと一緒に生きていく)

 ホームに滑り込んだ電車に乗って、久能と都鳥は去っていった。さきたちは電車がカーブを曲がって見えなくなるまで見送り続けた。


「うーん、本当にいいのかなぁ。判者さんに手伝ってもらうなんて」
「鷹屋さんの邪魔にならないよう頑張ります!」
「邪魔なんて思わないさ」

 隣を歩く実臣がにっこりと笑う。
 実臣のバーにて、みんなで夕飯を食べることが決まったあと、集合時間までそれぞれが解散することになった。さきは少し考えたあと、食事の支度をするという実臣に声をかけた。実臣だけに食事をお願いするのは気が引けたのと、この前のお礼をきちんと言いたかったからだ。
 バーの入口に【本日貸し切り】の札を出した実臣と一緒に、さきは階段を降りていく。

「お疲れさん会だもんな。どんなメニューにしよう。判者さん、リクエストある?」
「鷹屋さんのご飯はなんでも美味しいですから、迷いますねぇ」
「はは、嬉しいなぁ」

 店のドアを押すと、実臣はさきを先に通してカウンターへと向かった。

「とりあえず倉庫の中身を確認しないとな」

 ふたり揃ってパントリーへ向かい、あれこれと大型冷蔵庫から食材を出す。

「鷹屋さん、助けてくださってありがとうございます」
「え?」
「土地神さまの心から救い出してくれたことです」
「ああ」

 なんだ、と言いたそうな表情で実臣は笑った。

「俺はすべきことをしただけだよ」
「…………」

 土地神の心に囚われ、闇に沈んでいたときを思い出すと、さきは今でも指先が冷たくなる。けれど暗闇の中で、ふいに包み込まれた焔の揺らめきも覚えている。実臣の炎は全身を温め、力強く励ましてくれた。
 ここにいるよ、すぐに助けるよと。
 実臣がいなかったら、今ごろどうなっていたか。

「鷹屋さんは……」
「ん?」
「本当に大人ですよね。いつも余裕があって……」

 それはさきの本心からの言葉だったが、実臣は軽く瞬いたあと、少しだけ困った顔をしてみせる。

「俺もあのときはかなりいっぱいいっぱいだったよ。月は昇りかけるし、常夜の扉は開きかけるし、判者さんは眠りについたままだしさ」

 でも、と実臣は微笑んだ。

「それでなんにもできませんでしたなんて、かっこわるいだろ。俺は、君にはかっこいい鷹屋さんって思われてたいわけ」
「私は、かっこわるい鷹屋さんも見てみたい気がします」

 想像つかないけど、と言いかけたさきの目の前に、ふと影が落ちる。顔を上げると実臣の顔があった。
 ――近い
 咄嗟に身を引こうとしたが、身体は固まって動かなかった。

「もし俺が、そんな自分を君に見せるときが来たら」

 橙色の、焔のような目がさきを射すくめる。

「君を本気で落としにかかるってことだから、よろしく」
「え……」

 言われた意味を理解するまでに少し時間はかかった。意味がわかると、かくんと膝の力は抜ける。さきは慌てて近くのテーブルに手をついた。
 頬が、耳が熱い。
 冗談なのか本気なのか問いただしたかったが、それを聞くのは、負けを認めるように思えた。でもそれもおかしい。勝ちも負けもないはずだ。

「……鷹屋さん、ずるい」
「あれ、知らなかった? 俺はずるい男だよ」
「~~~~ずるい!」

 さきの抗議に重なって、実臣の軽やかな笑いがキッチンに響き渡った。
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