第一回 歌合

「みなさま、浮宮むく神社へ参りましょう。事態を収拾すべく、これより歌合うたあわせを行います」
「謹んでお受けいたします」

 雨と泥の匂いのする土手で、さき・・の言葉に、歌詠うたよみたちが応えたとき、何か引っかかりを覚えて、さきは背後を振り返った。
 けれどそこには特に何もなく、少し先に見える思掛橋おもかけばしと、浮宮神社のあるこんもりとした浮島が見えるだけだった。

(なんだろう、今の感じ……)

 微かに聞こえる音に耳を澄ませ、さきは目を閉じる。
 すると先ほどよりも強い気配を感じ、気配は一本の、金色の糸のように目の前に伸びた。目を開いても、糸はさきの前でゆらりと伸び続ける。

「……行きましょう」

 誰に告げるでもなく言うと、さきは歩き出した。背後からついてくる歌詠みたちの足音は聞こえたので、問題ないだろう。
 今はこの「気配」に向かって行くべきだ、と本能が告げていた。
 結倉ゆくらに戻ったとたんに行うこととなった「歌合」。三ヶ月の判者はんざ不在という結果が引き起こした事態は、芳しくない。空の渦巻き具合といい、空気の淀みといい、土地神さまの嘆きを慰められずにいたぶんだけ、常夜とこよと結倉の境界が曖昧になっている。
 土手を登りきったさきは、そのまま走って橋を渡った。再び雨脚が強くなっていくのを感じたが、服が濡れて身体に張りつくのも構っていられなかった。鳥居をくぐる前に頭を下げると、階段をかけあがる。
 境内に入ると気温がまた少し下がった。吹き流れる冷たい風が足首に絡む。
 手水ちょうずで手を洗い、口をそそぎ、迷うことなく足を進める。ちらちらと消えては浮かぶ金色の糸をたどって――

「なあ、マホ」
「ん?」

 背後から林吾りんごに声をかけられ、真秀まほは振り返る。雨のしぶきのせいで、眼鏡の視界はすっかり歪んでいたが、林吾の赤い髪だけは鮮やかに見えた。

「歌合っていうけど、テーマ、まだもらってないよな?」
「うん」
「今回は即興ってことか」
「だろうね。状況が状況だし」

 真秀の返答に、林吾は「はぁぁ」とため息を吐く。

「判者さま代替わりの一回目で即興とか、まじで緊張すんだけど……」
「いつも通りでいいのよ」

 林吾の隣を速歩きしながら、舞依まいが言った。

「そりゃ舞依はいいかもだけどさ~」
「おい、遅れるなよ」
「わかってるって!」

 少し先を歩いていた実臣さねおみの言葉に、林吾は返事をすると、ぬかるみを大股で飛び越えた。とにかくやるしかないんだと呟く。結倉のこの状況をなんとかできるのは、自分たちだけなんだからと。
 さきは後方の会話には参加せず、境内を突っ切ると、本殿の奥に生えていた大樹の前に立った。しめ縄が雨で幹に張りついて、なんとも寂しげではあったが、金色の糸が大樹のまわりをくるくると回っていることだけが、さきの意識を引いていた。

 誰かが拍手かしわでを打つ。

「!」

 その音にはっとした瞬間、金色の糸が粉々に砕け、周囲に飛び散った。
 時が――止まる。
 降りしきるすべての雨が宙に浮いたまま、歌詠みたちも同じように固まっていた。

(待って、どういうこと……?)

 状況に動揺したさきの目の前に、いつのまにか、小さな姿が頭を下げて立っている。息を呑んだ反動で肩が揺れた。どうやら自分だけは動けるようだった。

『お待ち申し上げておりました。こたびの判者さまでございますな』
「え……」
『お初にお目にかかります。わたくしめは代々の判者さまにお仕えしてまいりました、つなと申します。なにとぞ、なにとぞ、よろしくお願い申し上げます』

 さきは反応に遅れ、ただ、ぱちくりとまばたきをする。
 それは狩衣かりぎぬを身にまとった犬だった。頭には烏帽子えぼし、手にはしゃく。ふわふわと背中に広がっているのは、彼の尾か。

「判者に……あなたが仕えてきたの?」
『いかにも』
「資料のどこにも書いてなかったけど……」
『ほっほっほ。わたくしめのことなぞ、書くほどのことではございません。会えばわかることですから。わたくしは、浮宮神社の御神木をお守りする狛犬。御神木の力をお借りして、判者さまたちを異空へと導く、いわば水先案内人でございます』
「異空……」
『歌合は土地神さまの力に直接触れられる、神聖なる場所で開くものと決まっているのです。どこでもない、言霊ことだまの神の力が満ちる空間と思っていただければ。さて、お覚悟はよろしいですかな』

 つなはそこまで言うと、笏で口を隠した。

『そうそう、言い忘れておりました。つなは判者さまにしか見えませぬ。歌詠み衆に不審がられませぬよう、つなに話しかける時はお気をつけくださいませ。ほっほっほ』

 再び柏手が響くと、雨は地面へ落下を始め、周囲の音が戻ってくる。
 とっさにさきは歌詠みたちを見た。さきがつなと話していた間、止まっていたことに、彼らは気づいていないようだった。

『判者さま。御神木に触れてくださいませ』
「……わかった」

 御神木に近づくと、つなの言う通り、さきは両手で幹に触れる。乾いたような鈴の音が一度だけ聞こえた瞬間、どこまでも広がりを見せる場所に、さきは立っていた。
 並んだ石灯籠いしどうろうに次々と火が灯されていく。
 その灯籠の間を歩いていくと、木造の、能舞台のようなものがあった。舞台の上には、い草でできた円座が、左右に三つずつ置かれている。

(ここが……歌合の場所)

 戸惑いながら、さきは視線をあちこちへと向けた。

『判者さま、どうぞこちらに』

 つなの先導を受け、舞台に上がる。
 もしここが実際に能舞台だったのなら、正面舞台の背後には、松の絵が描かれた鏡板があるのだろうが、あいにくとそこには何もなく、ただ宙に浮かんだしめ縄があるだけだった。その奥から重苦しく、肌に吸い付くような冷気が舞台へ吹いてくる。

(土地神さまがおられる――)

 淡く鳥肌が立ち、さきは表情を改めた。

『判者さま、歌詠み衆の準備は整ったようでございます』

 つなに声を掛けられ、振り返ると、すでに歌詠みたちは円座に座り、配置についている。おそらく彼らが座る場所は決まっているのだろう。
 さきは目を閉じると、深呼吸をした。

(……大丈夫。やるべきことをするんだ)

心に念じて目を開ける。
タイミングを見ていたかのように、つなが恭しく、扇子を両手で差し出す。取り上げると、要に結ばれた飾り紐がゆらりゆらりと宙を舞った。

「これより歌合を執り行います。それぞれ名乗りを」
比斗奈ひとな神社が守護人しゅごびと、小鈴みこと」
「同じく、比斗奈神社が守護人、新館舞依」
富垂ふた神社より、佐波奏一さなみそういち
「同じく富垂神社より、鷹屋実臣」
広未ひろみ神社が守護人、空谷真秀」
「同じく、広未神社が守護人、桃園林吾!」

 六人の名乗りを聞くと、さきは身体の向きを変え、しめ縄の奥へと頭を下げ、再び向き直る。

「題目は――初恋」

 空間が捻れ、淡い光をまとった「初恋」の文字が宙に揺らめいた。しかし文字は奥からの冷たい風に吹かれ、砂のように消える。まるで土地神が了承したかのように、さきには感じられた。

「畏まりました」

 歌詠みたちは両手をつくと頭を垂れる。
 ふいに、さきの横に蝋燭もないのに火が灯った。

「……これは」
『判者さま、こたびは即興の歌合でございますので、歌を考える時間を設けまする。この火が消えましたら、歌詠みたちに歌の披露をお示しくださいませ』
「わかったわ」

 つなに向かって呟くが、すでに歌詠みたちは集中しているのか、誰もさきの声が耳に入っていないようだった。
 さきはその様子を見守り、同じように黙る。
 どれほどの時間が過ぎたか。せいぜい数分であっただろうか。横にあった火がフツリと消え、煙が一筋、立ち上る。
 それを合図にさきは息を吸った。

「第一の詠み手」

 その言葉に頭を下げたのは、舞依。

なれを知りなれに恋した春のの鮮烈、我の瞼に滲む

 空間に現れたのは陽光。麗らかでありながら、その光はさきの心を貫く。緩やかなめまい。それは陶酔にも似ている。
 世界が滲んだ。いや、自分自身が滲んだのか。
 芽吹き、今まさに綻んだ花の香りがする。胸に迫る感情。しかし、どうしても、それに届かない――

「……!」

 目の前が明滅したかと思うと、実体化していた舞依の世界は文字となって、彼女の頭上で揺らめいた。

(これが……歌詠みの歌)

 は、と息を吸う。鼓動が少しだけ速くなった。
 歌の持つ力に圧倒されないよう、さきは微かに震える指先に、もう片方の手を添えた。

「第二の詠み手」

 次に頭を下げたのは実臣。

信じてる、お前との明日あす 春宵しゅんしょうのロンドンやがて霧雨となる

 朗々とした声が響く。
 声が途切れると、さきの耳に聞こえたのは小さな音。細かくて、柔らかな雨だと気づいた一瞬のうちに目の前はけぶる。空にはぼやけた月。信じているという強い想いすら、曖昧なものとなる世界。
 だが心のほてりを、この雨も消せまい。いや、むしろ、胸に宿る恋の熱さを知るばかりだ――

 ふいに雨も月も消え、実臣の頭上に言葉が浮かんだ。

「……第三の詠み手」

 林吾が頭を下げる。

好きすぎて寝れない!やばい!!きみからのスタンプだけで桜咲きそー!!!

 テンポのよい林吾のはずんだ声が空間に広がった。
 一瞬の間。次には空中にいくつもの桜のスタンプが溢れ出す。薄暗闇をどこまでも埋め尽くす、明るく華やかな桜色。それはとどまることのない、彼の幸福。無邪気なまでの、そして激しい初めての喜び――

 パッとすべての桜が一瞬で消えると、名残惜しそうに林吾の頭上で、文字は踊った。

「ふふ……」

 思わず笑みをこぼしたあと、さきは次の歌詠みへ視線を向ける。

「第四の詠み手」

 今度はみことが、頭を下げた。

 背理法 可能であれば「もしきみが」これの続きを四月の朝に

 みことの周りの薄暗闇に関数が浮かぶ。次々と羅列されていく数式と図式。それは「きみ」と「俺」の関係性を示すもの。
 もしきみが俺を好きじゃないのなら。
 もしきみが俺を好きならば。
 答えが知りたい。どうしても。その想いは「真」か「偽」か――

 けれど数式は答えを導くところまでいかず、まるで黒板消しに拭かれたように消えた。

「第五の詠み手」

 奏一が静かに頭を下げる。

初恋にとばりの落つるあづさゆみ 春の夕べの君のくちびる

 周囲の闇が強くなる。暮れていく。薄暗闇に落ちていく春の深さ。
 まだ明るさを留める中に見える、「君」。その横顔から消えかけた光が、唇から拭われようとしている。
 目が離せない。君から。そのすべてから。
心は張り詰めている。まるで、ギリギリに絞られた弦のように――

「……!」

 小さく息を呑むと、さきは、奏一の頭上に言葉が揺らめいていることに気づいた。いつのまに終わっていたのだろう。
 扇子の飾り紐がたなびき、指先に絡むのをそっと解くと、心を落ち着ける。

「――第六の詠み手」

 最後に頭を下げたのは真秀だった。

色彩の、境界に立つ。桜ばな、意思持つやうに恋を告げゆく

 光が、いや、色彩が空間を分かつ。
 それは容赦ない力だった。これは自分と相手との距離だ。そう、絶対的に、互いは離れている。
 それでも恋をしてしまったのだ。やはり、容赦なく。
 潔さと、決然とした気配が満ちる。けれどふたりの境界を越え、桜の花びらだけが静かに降り注ぐ――

 全ての歌が詠み終わると、空中に揺らめいていた六つの短歌は、丸いぎょくとなって、さきの元へと集い、目の前に浮かんだ。

『――判者さま、ご判定を』

 つなが厳かに頭を下げる。
 さきはまだ少し彼らの歌に圧倒されていたが、それでもなすべきことを忘れることはなかった。六つの玉の、それぞれの輝きを見つめる。

(初恋というお題)
(私が土地神さまにご奉納したいと思う歌は――)

 さきは決心をすると、ひとつの玉へと扇子を差し伸ばした。


 選んだのは誰の短歌?(次ぺージより分かれます)

みことの短歌を選ぶ
舞依の短歌を選ぶ
実臣の短歌を選ぶ
奏一の短歌を選ぶ
真秀の短歌を選ぶ
林吾の短歌を選ぶ
  
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