第二回 歌合

 春楡はるにれの若葉の隙間から、光が地面へ無数のスポットを描く。風が吹くたびに、さらさらと心地よい音を立て、手水ちょうずの水に浮かべられた芍薬の花が小舟のように揺れた。

「よーっす、ミコト!」
「よ、ぞの。それに新館にいだて
「早いね。一番乗り?」
「そんなとこ」

 浮宮むく神社の階段に腰掛けていたみことは、階段を上がってきた林吾と舞依に軽く手を振る。舞依はぐるっと周囲を見たあと、同じように階段へ腰を下ろした。林吾はスマホを取り出して時間を確認すると、鳥居の傍の石にしゃがむ。

「なあなあ、今回の題目どう? 出来はいい感じ?」
「んー、いつもどおり」
「右に同じく」

 みことと舞依の返答に、林吾は口を尖らせた。別に競争ではないんだから、正直に話してくれたっていいのに。
 歌合うたあわせの前に、歌を披露してはいけないという規則だって特にない。でも土地神さまに捧げる大切な恋の歌だから、やはり土地神さまの前で初めて披露すべきであろう――という暗黙の了解はあった。

「オレは結構いい感じ! 何しろオレってば、先輩と妖怪のかくれ里にまで行った仲だし」
「ああ、桃園くんがタヌキの妖怪と間違えられた、あの事件?」
「ていうか、その事件と歌の出来に関係性が見つけられない」
「うん。論理的じゃないよね」
「うぐっ」

 ふたりからばっさりと切り捨てられ、林吾は喉を詰まらせた。
 あの妙な体験はしばらくの間――いや、今でも歌詠みたちとさきの間でネタとなって出てくる。それもそうだろう。あんな体験は結倉でさえ滅多にできない。林吾はあれ以来、贈られた黒い傘と間違えないよう、真っ赤な傘を買って使うようにしている。小さな木の葉が描かれたとんでもない傘は、林吾の部屋の隅に立てかけられたままだ。
 とりあえず今のところ使うつもりはない。かくれ里に行けばおそらく、あの老狸と取っ組み合いを開始するところから始まるだろうから。

「理由はなんであれ、そういう空間があることを知れてよかったとは思うけどね。いい仕事したよ、桃園くん」

 舞依がさらりと言った。

「そうそう、この世じゃない場所にも影響があるなんて、誰も知らなかったわけだし」

 みことも便乗する。林吾はふたりに視線を向けたあと「まあ……たしかに」と呟いた。しかしどうもうまく丸め込まれた気分だった。
 それからしばらくは会話をせずに待っていると、ほどなくして実臣さねおみが姿を現し、次に真秀がやってきて、最後に奏一がさき・・と一緒に階段を上がってくる。

「お待たせしました。それでは参りましょう」

 みんなを先導して、さきは歩いた。前回と同じように本殿の裏側にある小道を抜け、御神木へと向かう。そこにはすでに、つなが待っていた。

『判者さま、お待ちしておりました』
「今回もよろしくおねがいします」

 つなはうやうやしく頭をさげ、御神木へとさきをいざなう。心を落ち着け、さきは幹に両手を触れると、真っ白な光に包まれた。

「これより歌合を執り行います。それぞれ名乗りを」

 相変わらず痛いほどひんやりとした空間に臆さないよう、さきは心を奮い立たせ、配置についた歌詠みたちに言葉をかける。

「これより歌合を執り行います。それぞれ名乗りを」
比斗奈ひとな神社が守護人しゅごびと、小鈴みこと」
「同じく、比斗奈神社が守護人、新館舞依」
富垂ふた神社より、佐波奏一さなみそういち
「同じく富垂神社より、鷹屋実臣」
広未ひろみ神社が守護人、空谷真秀」
「同じく、広未神社が守護人、桃園林吾」

 六人の名乗りを聞くとさきは身体の向きを変え、しめ縄の奥へと頭を下げた。低い口笛のような風鳴りが耳に届く。

「題目は――見つける」

 歌詠みたちに向き直ったさきが告げると、空間が捩れるように揺れ、淡い光をまとった「見つける」の文字が宙に浮き上がった。

「畏まりました」

 歌詠みたちは両手をつくと頭を垂れる。

『こほん、判者さま』

 脇に控えていたつなが声をかけた。

『今回はすでにお題目を歌詠み衆に告知済みですので、このまま時を待たず、歌の発表を促して問題ございません』
「わかりました――では、第一の詠み手」

 その言葉に頭を下げたのは真秀。
 どうやら毎回、同じ者から発表するというわけではないようだ。しかしのっけから真秀とは。さきは彼の歌の威力に圧倒されないよう、丹田たんでんに力を込める。

夢に見し いつかのとほき 夏霞。なれまなこで、そと出会ひたり

 うなじを風が通り抜けていった。
 目の前に広がったのは夏の空。その空を覆う、けぶった薄い霞。朝も早いのに、騒がしい蝉の声がどこからか聞こえた。足元に落ちる暗い影と、道の脇に咲く向日葵の対比が眩しい。
 しかしそれら全ては、目の前にいる人の瞳の中にあることにさきは気づいた。そうだったんだ、と呟く。
 いつかの私の夏にあなたはいたのだ。
 さきの胸は懐かしさでいっぱいになった。会いたかったと唇から言葉が零れかける。その瞬間――景色は消え失せ、元の空間に戻った。
 足首に当たる冷たい風に、心の高まりはあっというま に鎮められていく。

「第二の詠み手」

 次に頭を下げたのは、奏一。

まそかがみ清き悩みと言ひがたき汝を求むるこの青嵐

 空間にひとりの男が立っていた。
 ――磨き上げられた鏡に、この想いは映せまい。
 男は嘆息する。映してしまえば認めざるを得なくなる。止められなくなってしまう。差し迫った熱情が、たしかに私のこの胸にあるのだと。
 一陣の風が吹くと男の姿はかき消える。巻き上がる風がさきの髪を弄ぶ。なんという激しさ。しかしこれが男の想いなのだ。
 抱きすくめられたかのように、さきは身動きが取れなかった。
 激しさを増す風が問う。この身の中に投じる勇気がお前にはあるかと。しかし返事をする前に風は止み、さきの横髪が音もなく肩から滑り降ちた。

「……っ」

 深呼吸をひとつして、さきは心を落ち着ける。

「第三の詠み手」

 みことが頭を下げた。

きみは今、そんな顔して笑うのか  知らない空をなぞるみたいに

 雨上がりの水を含んだ空気の匂いがした。
 白と緑のぼんやりとした形が、少しずつはっきりとしてくる。アナベルだ。

(あれ、ここは――)

 アナベルの茂みからふたつの影が飛び出してくる。雨上がりが嬉しいのか、辺りを一緒になって駆けずり回っていた。
 子ども特有の、柔らかな声があがる。ひとりがアナベルを一本、摘み取った。雪のように白くてまんまるの花をもうひとりの前で揺らす。何がそんなに楽しいのだろう。なんて嬉しそうに笑うのか。
 空から光が差し込んだ。さきの頬も緩む。
 これはどちらの想いなのだろう。くすぐったくて優しくて。だけどなぜか切ないくらいに――懐かしい。
 自分の胸にわきあがった感情にさきは一瞬戸惑った。どうしてそう思ったのだろう。元に戻った空間でしばらく黙る。

『判者さま?』

 隣からつなが呼びかけると、さきは身じろいだ。

「ごめん、大丈夫――第四の詠み手」

 今度は林吾が、頭を下げる。

スポドリを「はい」って渡してくれたとき、ぶわってなって「好き」に行き着く

 重低音を響かせる音が空間に響いた。
 驚いたさきの目の前に、影が勢いよく飛び出してくる。音に合わせ、躍動する影に思わずさきの身体もリズムを取ってしまう。
 赤や黄緑、青にオレンジ。インクが広がるように明るい色が溢れていく。林吾の、心の色のなんと鮮明なことか。唇に笑みを浮かべていたさきは、まるで花火のように打ち上がったひときわ大きな薄桃色に目を見張る。
 影がますます動き回る。喜びを身体全体で表現するように。そして一面に広がったたくさんの色がより集まり、くるくると渦を巻いて、地面で形をなしていく。
 影がポーズを決め、音が止んだ瞬間。その横にはペットボトルが一本だけ置いてあった。
 拍手をしたい思いに駆られたのをぐっと我慢して、さきは息を吸い込んだ。

「第五の詠み手」

 実臣が静かに頭を下げる。

細腰さいようを抱き寄せた手に流れ込む、おまえの赤い赤い渇仰かつごう

 どうしようもなく相手を求むる心に色がついているのなら。
 それは真っ赤な色ではないだろうか。
 情熱、渇望のイメージだから?
 いな。赤は血の色。なければ生きてはいけないもの。
 身体も心も委ねよと、大きなその手が伝えてくる。ひとたび身を預ければ、こちらの想いもまた、相手に伝わるだろう。
 求め合うふたりが今ここにいる。触れてわからないことなど、最早ないのだ。
 星のない暗い夜が始まろうとしている。しかし灯りなど必要だろうか? ひしと抱きしめ足を絡め合う。それ以外に何がいるというのか。

「……っ」

 濃密な空気に当てられて、さきは短く息を吐く。
 なんと大胆不敵な、遠回し不要の恋の歌だろうか。心の針が振れるのを感じて、扇子を持つ手にさきは意識を集中させる。

(落ち着いて……)

 空間は静まり返っていた。
 心の凪を確認すると、さきは顔をあげる。

「――第六の詠み手」

 最後に頭を下げたのは舞依だった。

さみどりの香気かざする髪の柔らかき手触りさえも永遠とわで無いとは

 鼻先に香った、それは若葉の匂い。
 生命力溢れる喜びが、さきの胸を貫く。けれどそれはすぐに、手の指の間からすりぬけていってしまう。あなたの柔らかな髪のように。
 ああ、なにもかも。世界の全てに永遠なんてないのだ。
 そんなことはとうに承知していたけれど、それを認めてしまうのも悔しい。
 あのかぐわしい香り――あなたが放つ恋の匂いを知ってしまったから。ときめくこの胸も、自分を幸福にするその全ても、永遠だって言いたいのだ――

「…………」

 歌が消えゆく瞬間、ラストノートのように、さきの鼻先を香りが掠めていく。甘く切ない願いに、さきの胸はぎゅっと鳴った。

 全ての歌が詠み終わると、空中に揺らめいていた六つの短歌は、丸いぎょくとなって、さきの元へと集い、目の前に浮かんだ。

『――判者さま、ご判定を』

 つなが厳かに頭を下げる。
 さきは目を閉じ、深く息を吸い込んで、吐き出した。それから徐に六つの玉の輝きを見つめる。

(今回のお題は『見つける』)
(私が土地神さまにご奉納したいと思う歌は――)

 さきは迷わず、ひとつの玉へと扇子を差し伸ばした。




 選んだのは誰の短歌?(次ぺージより分かれます)

みことの短歌を選ぶ
舞依の短歌を選ぶ
実臣の短歌を選ぶ
奏一の短歌を選ぶ
真秀の短歌を選ぶ
林吾の短歌を選ぶ
  
戻る